2010年09月01日

『機』2010年9月号:ミシュレの文学性 大野一道

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「偏った歴史」
 ミシュレの歴史の魅力は何といってもその文学性にある。それが最も感じられる作品の一つが本書(『フランス史III』)『十六世紀――ルネサンス』であろう。それゆえここでは彼のルネサンス史の特色を、文学性という観点から眺めてみたい。
 歴史という言葉からは通常、過去に起きたさまざまな出来事をある観点と方法論をもって整理記述し、その変遷のよって来たるゆえんを考察したもの、といったイメージが浮かぶだろう。学問的な歴史となれば、過去を考察する観点や方法論が誰にでも納得できる客観性をもったものとなり、説得力をもったものにならねばならないとされるだろう。つまり歴史は客観的で科学的なものだとされるのだ。
 ところがミシュレの場合は正反対である。彼は客観性をよそおわない。主観的で文学的で、情熱にあふれ想像力にみちた歴史を書く。その結果、自らの「歴史は公平なものではない」とまで宣言する。「これは率直にまた力強く道理と真実とに肩入れする偏った歴史なのだ」(本書最終章)とも言う。自らの歴史を、公平さを欠く偏ったものと述べるような歴史家が、はたしてほかにいるだろうか。

地上への愛
 彼は自らの歴史記述の中に、対象として取り上げている事象と何らかの意味で通じあう自らの体験を語ることを好んでやる。
 本書第4章では、ルネサンス時代にギリシア・ローマの古典古代への知識が復活し、それがとりわけ印刷術の発展によって多くの人々の手許へと普及していった経緯を述べながら、自らがウェルギリウスをいかに愛読していたか、ウェルギリウスによって古典古代の世界像をいかに教えられたかを述懐、「聖ウェルギリウスよ、わたしのために祈ってくれ!」と叫ぶ。そして「印刷工だったわたしの父」の思い出に言及しながら、自分が幼い時代からいかに印刷術に親しんでいたかを語る。その他本書各所に著者ミシュレが顔を出し、自らの思い出や感慨や価値判断を登場させる。
 その意味でも本書は「偏った」ものなのだ。そんな歴史がはたして本当に歴史といえるのだろうか。もしミシュレの見解や感性と合わない者が読んだならば、反撥し、反感しか覚えない歴史ではないか。とすると、こうした作品を今日読む意義はいったいどこにあるのか。だが、本書が魅力的で興味にあふれ、一言で言えば面白いこともまた事実であろう。いったいどこから、そうした現象は生じるのか。
 忘れてならないのはミシュレが、「道理と真実とに肩入れする」ゆえに偏っていると言っていることだ。客観性や科学性をよそおって、道理や真実を突き放すようなことはしないとしていることだ。それから「自然は善である」、「人間は善である」という認識をその世界観の中心に常にすえていることだ。これらの言葉はフランソワ一世とカール五世を語りながら、ラブレーについて記している箇所に見いだせるのだが、ラブレーの世界観に託しつつ、ミシュレは自らの世界観を表明していると考えるべきだろう。
 じっさいルネサンス期の巨人といえるダ・ヴィンチやルターがいかに自然に共鳴し、自然を愛していたかというエピソードが本書では語られる。ダ・ヴィンチやルターに関してなら、伝えるべきことは数限りなくあるだろうに、彼らの小鳥やウサギらへのいつくしみの心をなぜわざわざ取り上げるのか。そうした小さな逸話の中に、神への愛だけではなく地上への愛を示すルネサンスという時代の本質を、ミシュレがかいま見たからだろう。

ルネサンスの本質
 ルネサンスの本質、ミシュレによれば、それは大いなる自然の再発見ということになる。「真実」は人間の内なる自然(=本性)に忠実たらんとする所からしか見えてこない。そして人間の外なる自然は、何よりも生命を生み出すものとして姿を現す。本書の「序説」には「大地の母なる生命」とか、「日常的な奇蹟である生命というものは、もはや神だけに属するものではなくなってしまった」といった言葉が散見する。生命を生み出したのは神の御業であり、神のみが万物の父なのだというキリスト教的世界観に代わって、古典古代に知られていた、万物=大自然それ自体のすばらしさを、ルネサンスは再発見したというのだ。ミシュレは父なる神に代わってこの時代に感じられ始めた「母=神」の優しさをも指摘する。
 そしてルターは「奇蹟の宗教を自然の宗教に」移調したのみならず、「虚構の宗教を真理の宗教に移調した」とも言う。中世期、ローマ教皇を頂点とした堅固なヒエラルキーによる支配体制をカトリックは築いたが、それに対し、イエスの教え、人間の内面(内的自然=本性)に依拠したイエス元来の教えに復帰しようとしたのがルターだったということなのだろうが、しかしそれはミシュレにあって、キリスト教内部における一つの運動形態として捉えられていただけではなく、このルネサンスという時代の根本を流れる大いなるうねりの一環として考えられていたのではないか。
 その大いなるうねりとは、「〈キリスト教的〉調和にかえて〈人類的〉調和を創り出す」動きであり、東洋と西洋といった枠を超えて「人類は同一であることを証し立てる」方向性であり、さらには人類と他の生命体との境界をも飛びこえて「『自然』の普遍的血縁」を見出し、「人間は世界の兄弟なのだ」(本書7、8、11章)ということを確認する動きだったと思われる。(中略)

歴史には方向性がある
 彼の語る事象は歴史の中で一回限り生じた、かけがえのないユニークな事柄として語られているごとく見えるということなのだ。その点が文学と深く通じるゆえんだろう。もちろん歴史を書こうとする限り、彼も、個々の事象を超えて全体的に共通する傾向なり思潮なりを鳥瞰的にしっかりと把握しようとすることもあるだろう。時に大きな歴史のうねりのようなものが描き出されるのは、そうした能力をミシュレが我がものとしていたからに他ならない。
 しかし、そうした全体的俯瞰も、ミシュレの場合あくまでもダイナミックである。統計等の資料を使っての冷たく客観的な、科学的分析とは明らかに異なるスタイルである。歴史はミシュレにあって、本質的に自然科学と同じ意味での科学とはなりえないものなのだ。歴史には何らかの方向性があると彼は信じていた。そのことは本書『ルネサンス』からも十分に読みとれる。しかしそれはあくまでも人間の主体的自由とのからみの中で掌握される「傾向」なのであって、客観的な法則や、あるいは起源と目的とを内包する「大きな物語」としては捉えられない。つまり森羅万象、時間の中で繰り返され、永遠に存在し続けるものごとのように思えても、個々の存在は一回限りのかけがえのないユニークなものとして感じとられているということなのだ。

歴史としての文学性の高さ
 そこにこそ、歴史家として歴史と向きあったミシュレの文学性の本質を認めることができるのではないだろうか。彼が書いた歴史は、文学書のような一つの作品として読むことも可能であろう。が、しかし、それは歴史を素材に想像的世界を創作する歴史文学とは、けっしてならなかった。あくまでも「歴史」だった。つまり彼が描いたのはけっして想像的世界ではなく、あくまでも時間の中に登場し、そして去っていったさまざまな物事へ深い共感だった。そこでは、たとえ排斥すべき悪や不義を具現する存在に対してさえ興味が示される。
 そうした興味の対象を、彼は可能な限り資料に当たって描き出そう(そして資料の欠けた部分のみ、必要最低限の想像力で補おう)としたのだ。ミシュレのミシュレたるゆえん、その歴史としての文学性の高さは、そうしたところにこそ認められよう。彼を読む魅力がいまなお色あせないのも、まさにそうした点にある。

(全文は『フランス史III』に収録。構成・編集部)
(おおの・かずみち/中央大学教授)