2010年06月01日

『機』2010年6月号:俳句/短歌をつなぐもの 金子兜太+佐佐木幸綱

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アニミズムの歌――佐佐木幸綱
【佐佐木】 幾つかアニミズムの歌を抜いてきました。


  小面となりて在り継ぐ檜のアニマむかし浴びにし檜の山の雪 (『アニマ』)


 檜です。今は能面になっているけれど昔は山にいて雪を浴びていた。今は能面、昔は山に自生した檜。全然違うものなんだけれど、同じアニマがずっと中を在り継いでいるという歌です。


  啄木鳥になりからまつの幹を打つ一つ命を仰ぎ見るかも (『アニマ』)


 この歌は解説は不要だと思います。


  樹にされし男も芽吹きびっしりと蝶の詰まれる鞄を開く (『アニマ』)


 鞄を開いたら中から蝶がワッと出てきた。男は今は樹になっている。その樹に蝶々がびっしりとまとわりついているというイメージです。昔、人間の男だったころ、彼が持っていた鞄なんですね。男と樹はじつは一つの命としてつながっているというかたちです。植物とか動物を命のレベルで見る、こういうアニミズムの歌を幾つか作りました。


  三十一拍のスローガンを書け なあ俺たちも言霊を信じようよ (『群黎』)


 これは六〇年安保のときの歌です。言葉のアニマですね。


  言葉なき人にとっての言霊は何なりや宿題をノートに記す (『「われ」の発見』)


 これは鶴見和子さんのことをうたったものです。鶴見さんとの対談を一冊にまとめた『「われ」の発見』のために、宇治のケアハウスに行って鶴見さんと話をしました。その折に取材した作です。鶴見さんは脳出血で、左片麻痺になられた。言葉がない人、言葉を失った人にとって言霊とは何なのか。鶴見さんと言霊の話をしたので。それが宿題になったという歌です。


  満開の桜ずずんと四股を踏み、われは古代の王として立つ (『アニマ』)


 鶴見さんが引用して下さって、その対談で話題になった歌です。満開の桜が四股を踏むという歌です。世田谷区にあるわが家の近くの砧公園に、じつに大きな桜があります。これがもう、巨大な力士のような凄い大樹なんですね。


  天と地をむすぶ柱として立てる一本杉を敬いやまず (『アニマ』)


  空から見る一万年の多摩川の金剛力よ、一万の春 (同)


 こんなような歌です。少し意識的にアニミズムの感覚を歌で作ってみたりしています。


韻律と肉体
【金子】 これは日ごろ感じていることですが、今の歌もみなそうですが、あなたの場合は韻律に非常に力感があるでしょう。ただ力んでいるというより、むしろ肉体が働いて押し出されてきているという自然な感じがあって、私はその韻律にもアニミズムを感じるんだ。


【佐佐木】 ああ、韻律ですね。短歌とか俳句とか、五七のリズムがもう日本人にとっては一種のアニミズムなんですね。子供のときから肉体的に五七が染みついているということがあるんでしょうね。きっと。


【金子】 そうなんです。特にあなたの場合にはそれを感じます。


【佐佐木】 リズムにもアニマがあって、それが取り憑いているという感じなのかもしれないなあ。


【金子】 前登志夫(一九二六~二〇〇九)さんの歌も好きなんだが、あの人にはあなたほどの韻律の力がないですね。


【佐佐木】 〈暗道のわれの歩みにまつはれる螢ありわれはいかなる河か〉(『子午線の繭』一九六四)は、前さんのアニミズムの歌で代表的な一首です。歩いていると螢が俺にまつわりついてくる。俺は原書もしかしたら河なんじゃないだろうか、といった意味ですが、韻律もなかなかいいと思います。


【金子】 うん、いいんですけどね。ちょっと虚勢を張っているという感じがどこかにするんです。虚勢という言葉はきついですけど。あなたの場合はこういう韻律がごく自然です。出来の悪い歌でも韻律を味わうという場合があるんです、あなたの作品には。


【黒田】 佐佐木さんの場合、どの歌にも重量感がありますね。


【金子】 重量感もある。


【佐佐木】 まあ、あまり褒められても(笑)。兜太さんの句も重量感を意識して居られるんじゃないですか。重量感を感じます。


【金子】 あるみたいですね。

アニミズムの句――金子兜太
【佐佐木】 さっき、〈酒止めようかどの本能と遊ぼうか〉を挙げておられましたが、あと、どう句をご自分でアニミズムの俳句として挙げられますか。


【金子】 さっき、


  今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか


の句を挙げていただいたが、それなんかも自分ではそのつもりですけどね。


  谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな (『暗緑地誌』)


はどうですか。


【佐佐木】 エロチックだし。


【金子】 エロス。フロイトは生の本能というんでしょう。


【佐佐木】 〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉(『遊牧集』)。ぼくは兜太のアニミズムの俳句というとこの句を思い浮かべます。すばらしいですね。


【金子】 ええ。言おうと思っていた。青鮫イコール命なんです。直感的に出て来ます。『日常』では〈ジュゴン〉なんだなあ。〈今日までジュゴン〉なんて、まさにそうなんだ。それから、


  長寿の母うんこのようにわれを産みぬ


がやはり。この「うんこ」なんて得意なんです、自分では(笑)。


【黒田】 「こんな句を載せるなんて」と怒っている人たちもいるんですよ(笑)。でも、百四歳までお母様は生きられた。いま、こういう句を作って発表される俳人はいないでしょうけどね。


【金子】 まあ、いないとは思うなあ。

動きが生きている
【佐佐木】 このごろの俳壇の俳句はきれいになりすぎましたよ。和歌に近づいてきている。誕生時の俳句は反和歌だったわけでしょう。和歌では俗なこと、汚いことはうたわないわけです。芭蕉は「鶯の糞」を俳句にしますが、絶対に和歌ではうたわない題材だった。外側から見て、近年の俳句はきれいすぎます。だから、「うんこ」の句は俳句らしくていいんじゃないですか。ともかくアニミズム。


【金子】 そう。〈谷に鯉〉〈青鮫〉〈今日までジュゴン〉とかがね。


【佐佐木】 〈人間に狐ぶつかる春の谷〉(『詩經國風』)もそうですね。


【金子】 ええ、これも得意です。


【黒田】 〈おおかみに螢が一つ付いていた〉(『東国抄』)はどうですか。秩父では狼が神社の狛犬の代わりになっている場面に出合いますが。


【金子】 そうです。狼になるんです。


【佐佐木】 この旅館(長瀞・長生館)の入り口に金子さんがお書きになった句の額が掛かっていましたね。


【金子】 入り口にあったのは、


  猪がきて空気を食べる春の峠 (『遊牧集』)だ。あれもアニミズムです。


【佐佐木】 猪はイノシシと読むんですか。


【金子】 シシですね。あれは龍太君が珍しく褒めた句です。あれもそうです。


【佐佐木】 リズムがいいですね。兜太さんの句には口誦性がある。


【金子】 自分でもそう思います。


【佐佐木】 かなり字余りの句でも、そういう感じがします。


  二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり (『暗緑地誌』)


【金子】 あなたが好きな句だ。これは自分でも好きです。


【佐佐木】 とてもリズムがいい。覚えやすい。


【金子】 映像ですけれど、動きが生きているね。


【黒田】 〈朝はじまる海へ突込む鷗の死〉(『金子兜太句集』)はどうですか。アニミズムではないですね。


【金子】 うん、ちょっと違うような。


【佐佐木】 あれは僕、「朝の便所の句だ」とどこかに書いたことがあるんです(笑)。


【金子】 香西照雄がエレベーターの中でうんと怒ったのはあの句です。「何だ、おまえは! ああいう訳の分からない句を作って、俳壇に毒を流すつもりかッ」と。厳しかったです。何といっても向こうはオレにとっては先輩だからね。


【黒田】 振り返ってみたら、ずいぶん昔からアニミストの句ですね。


【金子】 そう。おのずからそうなってます。 (構成・編集部)


(かねこ・とうた/俳人)
(ささき・ゆきつな/歌人)