2010年04月01日

『機』2010年4月号:アジアの視点から観た日米安保 鄭敬謨

前号   次号


日本人の優越感を利用
 顧みるに戦争の放棄と武力行使の禁止を謳った一九四七年の憲法は、日本が二度とアメリカに歯向うことを防止するための法的措置であった。しかし一九五一年吉田茂がサンフランシスコで調印した安保条約は、これに深く関わったダレス並びにケナンの思想から類推する限り、アメリカが自らの対アジア戦争に日本を組み込ませることを規定した文件であって、憲法と安保は力のベクトルが正反対の方向を指しているのは明白である。
 振り返ってみると戦後のアメリカは、一貫してアジア人に対する日本人の優越感を煽り、明治以来の脱亜入欧の思想が色褪せないことを念頭においた政策をとってきたように思う。日本自身、並みのアジア人とは異なる擬似的西洋国家の国民たることの中に自らのアイデンティティーを求めてきたのではあるまいか。
 G・マコーマックに依ると「戦後からアメリカは、ことさらに日本の特異性を指摘し、他のアジア諸国とは根本的に違う国だということを強調することによって、日本をしてアジアとの関係を疎遠ならしめ、それを通してアメリカに対する依存をより深めることを基本的な目標としてきた」と言う。
 戦後以来このような状況の中で六十余年の歳月を過ごしてきた国として、いま頼りにしてきたアメリカの国力が急速に衰退しているという思わざる事態に直面し、日本は様々な矛盾と行き詰まりの中で、何れの進路をとるべきか苦悩しているように見受けられる。(後略 構成・編集部)

(チョン・ギョンモ/評論家)