2008年01月01日

『機』2008年1月号:ブローデルが紡ぎ出す歴史物語 ジャン・ギレーヌ/ピエール・ルイヤール

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●名著『地中海』の著者・ブローデルが遺した幻の書、遂に完訳!

40年間眠っていた幻の書
 本書は最近の著作ではない。1969年に書かれ、そのまま手つかずで放り出されていた著作である。60年代末にはまだ、放射性炭素のインパクトが年表に深甚な影響を及ぼしてはおらず、中東における新石器時代および金石併用時代の資料は散在していた。
 多くの人にとって、西の巨石文化もまた、冶金と同じ時間枠内で伝播したプロセスだと考えられていた。海の民、エトルリア人、キンブリー人、テウトニー人らの民族移動がかつてなかったほどの地位を占めている時代だった。
 ブローデルもまた当時の大学教員と変わらず、すべての始まりを遠い東方の人々のあいだに位置づけたり、紀元前最後の千年紀をフェニキア人、エトルリア人、ギリシア人の三民族が生きた時代としており、地中海のパートナーであったリグーリア人、ケルト人、イベリア人を除外している。
 思い出してみると、60年代末の大学教育は、フェニキア人については、彼らが文字を発明したこととカルタゴの植民市で〈トフェト〉〔子供を生け贄に捧げる場所〕が使われていたことを除き皆無、エトルリア人(とその「謎」――ブローデルを悩ませた例の「謎」)は数回の授業しかないが、ギリシアだけは別格で、植民市と古典期アテナイの両面からたっぷり教えられる、というありさまだった。
 ブローデルのヴィジョンは、こうした大学の日常と、地中海文明のあらゆる側面を視野に入れたその後の教育の中間(あるいは、越えたところに、というべきか……)に位置している。しかし、日に日に更新される考古学資料の蓄積を飛び越え、根本問題に身を浸そうとする者なら、いかに見事な発見が繰り返されようとも、本質に迫る問いはそれらを乗り越えて永遠に生き続けることにすぐ気づくだろう。そして、本書の著者が発している問いこそまさにその種の問いなのである。

「作家」ブローデル
 本書では新たなブローデル像にも出逢うことができる。この近代史家は、これこそ革命だと感じられるどの歴史的段階にも身を潜めて待ちかまえている。前古典期末期に確立したアテナイの役割もまた革命的な変化と捉えているし、ローマ共和政の出現にも同じ評価を下す。と同時に、歴史の別の読み方を行間に忍び込ませ、ギリシア・ローマという二大巨頭が先立つ長い運営期間をうまく再利用したという神話のメッキを少々剥がしている。それどころか、ローマというブルドーザーに押し潰されたエトルリア人とカルタゴ人を愛しているふしさえ感じられる。地政学的に捉えた大きな諸総体が発達する過程において、さまざまな出来事がどれほどの範囲にどれほどの影響を及ぼしたのか、歴史家が大袈裟に考えすぎてきた敗北にいかなる意味(敗者の世界観)を与えうるのか、そうした問いを喜々として投げかける姿にも出逢うだろう。人類の時間が始まっていらい歴史の重みをなしてきたのはつねに大衆であり、先史時代から「すでにして人間は混血であり、雑種であった」と考える彼の歴史哲学である。
 つまり、われわれが目にしているのは作家ブローデルである。資料と戯れ、的を射た問いを発し、細部を浮かび上がらせてはそこに思いもよらない重要性を与え、一見ばらばらの状況を関連づけ、雑多な要素を縫い合わせることができるばかりか、センセーショナルな時代錯誤にぶつかっては跳ね返されることさえできる、あの魔法の物語作家なのだ。

(Jean GUILAINE/コレージュ・ド・フランス教授)
(Pierre ROUILLARD/CNRS研究主任)