2007年10月01日

『機』2007年10月号:葬送の記 鶴見俊輔

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 鶴見和子は、自分が死んだら海へ、と遺言した。 姉の死後、京都ゆうゆうの里で葬式を終えてから、葬送の自由をすすめる会のお世話を受けて、10月23日、和歌山港に遺族五名が集まり、葬送の会からの2名とともに紀伊水道に向かった。
 和子は、南方熊楠の研究をしており、熊楠ゆかりの神島の近くに散骨することを望んでいた。

 当日は雨。
 天候にさまたげられることは、数日前からあやぶまれていたが、予定の所についたころには、さまたげというほどのことはなかった。
 広い見晴らしがあり、遺灰とともに、さまざまの色あいの花びらを撒くことができた。
 あたりを一巡し、花びらにとりまかれた葬送の場所をたしかめた。

 私たち遺族5人にとって、はじめての経験であり、儀式であった。
 80年あまりを、ともに生きた私にとって、心に残る終わりであった。
 儀式を領導された葬送の会世話役の方がたに感謝します。

 人間の葬儀は、やがてこの方向に向かうものと信じます。
 鶴見和子個人にもどって考えると、和歌をつくる人として、『古今集』仮名序に紀貫之がのべたように、和歌を支えるものみなの生命に自分も流れ入る儀式であった。
 アニミズムを自分の哲学として選んだ人にふさわしい。

(つるみ・しゅんすけ)