2007年08月01日

『機』2007年8月号:草の上の舞踏 森崎和江

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●朝鮮半島と日本の間で、 今なお「自分」を探し続ける詩人。



 とおいとおい過去のこと
 夕ぐれの散歩道
 ちいさなわたしはポプラの木に抱きついて
 頬をよせ
 目をつむっておりました


 水が流れているのです
 高い大きなポプラのなかを
 いのちが流れているのです
 母に抱かれているような


 ほそく目をあけ仰ぎます
 葉っぱの森がまっくら
 「雀のお宿だよ」
 うしろから父の声


 葉っぱの森へと夕やけ空を
 あちらこちらからかえってくる雀たち
 いつしか静かになりました
 水に抱かれて眠ります


 わたしは父と手をつなぎ
 うたいながら帰ります
 夕ぐれるこの町を
 とおいとおい過去のこと
 朝鮮半島の 雀のお宿


「外地」から
 2冊の小著から戦後の生き直しの歳月の一端をまとめた。最終篇の「椿咲く島」にある愛光園との絆は、私がくらす宗像市の有志や市内2カ所の身障者施設が2000年春から園生の修学旅行を迎えて以来、相互訪問へと交流を深めている。
 私は幼い頃からあの半島の風土をむさぼり愛した。紙と鉛筆やクレヨンが遊び友達だった。5、6歳の頃には朝目を覚ますとひとりで庭へ出た。朝空がひろい。刻々に空や雲が色を変え姿を変える。ある朝、大空のあまりの美しさに涙し、母の食卓への呼び声にも身動きしかねた。父が顔を出し、だまってうなずいてくれた。
 10代後半に、当時は「内地」と呼んでいた東京発行の雑誌へ、「外地」からペンネームで詩を投稿し出す。片手にはスケッチブックを持ち歩いた。

旅を重ねて
 そして敗戦を「留学」中の九州で体験し、国政と比すべくもない個の原罪意識に突き動かされるまま列島の北へ南へと海沿いの旅を重ねた。一人前の日本の女へと納得できるわが身を求めながら。
 農漁業や林業の村や町の方々に会う。働く日々の喜びや仲間等との談笑に誘われる。朝早くひとり渚に立ってしまう。
 時に、泊れと村人は旅の身を招き入れた。夜ふけまで村伝来のくらしを語る。それは北ぐにの里を行くにつれて強くなった。
 とある漁家の老女が小さな日記帳をひらいて語った。南への旅は手造りの四角の三味線を弾き語り踊る村人に泊められて、酔い踊り、そのまま眠った。
 沖縄の南方の小島の夕ぐれ、海は地球の曲線を鮮やかに染めつつ陽が沈む。砂浜に立っておれなくなる。しゃがみ込んだまま見つめた。遙かかなたからひびく祈りのさざ波に揺れながら。(構成・編集部)

(もりさき・かずえ/詩人・作家)