2007年05月01日

『機』2007年5月号:パムク文学のエッセンス 和久井路子

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●ノーベル文学賞受賞作家パムク自身が語るパムク文学の精髄!

 昨年10月のノーベル文学賞発表(ノーベル賞受賞はトルコ人初)を受け、この2年余りのあいだに行われたオルハン・パムクの講演3本をまとめた『父のトランク』がトルコで緊急出版された。
 パムク自身の言葉によって、パムクの文学観、作品誕生の秘密、そして「東」と「西」の架け橋の国トルコならではの繊細な政治感覚が語られるこの作品を、日本語の読者にも早速お届けしたい。

何10年ぶりの素晴しい受賞講演
 「父のトランク」は昨年12月のノーベル文学賞授賞式の3日前にスウェーデン・ノーベルアカデミーにおいて行われた記念講演€釘abamin Bavul€狽フ翻訳である。これは『環』号に掲載され、読んで感激された多くの方々から、単行本化への強い要望が寄せられていた。
 英語は母国語並みのパムクだが、この講演はトルコ語ですると、昨年11月のトルコの全国紙『ミッリエト』のインタビュー(本書所収)で語っている。「それが一番自然だから、なぜなら自分はトルコ語の中で暮して、トルコ語で書いているのだから。トルコ語は自分の色で、自分の全てである」と。会場では4か国語の翻訳が配布された。講演がトルコ語であったこともあって、トルコのテレビは3局が1時間にわたる講演を最初から最後まで中継放送し、人々はテレビの前で釘付けになった。 裕福な実業家の息子であった父親は、土木工学を学んだが、本が好きで、文学者になりたかったにもかかわらず、ならなかった。その父親が亡くなる2年前に、息子の仕事場に、詩や、翻訳や、小説の断片、日記など彼が書いたものの詰まったトランクをもって来た。父親は、厳しく、辛い、孤独な文学者としての人生よりは、友人たちに囲まれた幸せな、安楽な人生をえらんだのだった。子どもたちが気に入らないことをしても眉ひとつ顰めることのなかった父親、いつも陽気で、幸せで、人生の不安や辛さを感じたことのないと思われていた父親に息子が垣間見た、文学をする者が見ているあの暗い心の深奥。22歳の息子がエリート大学の建築科の三年生の時、大学をやめて小説を書きたいと言い出した時、ただひとり反対もせず、その後の10年間の生活を支えてくれた父親は、息子の処女作をどう読んだのか……。 父のトランクをめぐる思い出に始まって、文学とは、作家とは何か、どのようにして作家になるか、ものを書くということの意味、人生とものを書くこと、なぜ書くのかについて自身の原点を語る珠玉の言葉がみられる。 それはまた作家の忍耐とその秘密を、深く語るものである。いつ来るかもしれぬ霊感の天使をただ待つのではない。「針で井戸を掘る」というトルコのことわざのような努力と忍耐があるのだ。
 自分が子どもの時、家にあった父親の書庫から見た文学の世界の中心はイスタンブールから遠いところにあったが、いまやその中心はイスタンブールであるという。「世界」レベルの文学賞とされるノーベル文学賞において、パムクが問いかけたのは、世界の中心とはどこであるのか、ということであった。
 この講演は、ノーベル賞受賞講演の中でも何10年ぶりのすばらしいものであったと評判になった。

「文学中毒」オルハン・パムク
 「内包された作家」は2006年4月に、アメリカ・オクラホマ大学で行なわれた講演である。オクラホマ大学では、1968年以来World Literature Today誌の後援で(最初の2回は毎年、第3回からは隔年で)、特定の作家をゲスト講演者として招き、数日にわたってその作家をテーマにしたシンポジウムが行われている。その恒例のシンポジウムでの講演である。ちなみに、2001年のゲスト作家は、大江健三郎であった。
 文学無しでは1日も過ごせない、いわば「文学中毒」であるパムクにとって、いかなる文学が「よい」文学なのか。自分が作品を執筆している途上では、それがまさに自分自身に対して問われることになる。
 パムクにとって、文学は霊感によってもたらされるものである。霊感という風を帆にはらんで、作品は予期せぬ方向に進みもすれば、時には筆が滞ることもある。それでも、そうした霊感に開かれていることで、作品世界は描かれる。
 文学を通じてこそ創り出すことができるそうした「もう一つの世界」、そこに子どものように純粋に没頭できることの幸せを描く一方で、パムクは、「政治的事件」に巻き込まれることで、その純粋さから引き離された経験も語る。そんな経験から知った、作品の実現にとっての作家の役割とは?

文学と政治の接点
 「カルスで、そしてフランクフルトで」は、2005年年10月、ドイツ出版協会が毎年行うフランクフルト・ブックフェアで、ドイツ平和賞(賞金25000ユーロ)を受賞した時の講演である。この賞は1950年以来毎年与えられている。
 過去の受賞者の中にはアルベルト・シュヴァイツアー(1951)、ヘルマン・ヘッセ(1953)、カール・ヤスパース(1958)、ヤフーディ・メニューヒン(1979)などもある。トルコの作家ではヤシャル・ケマルが1997年に受賞している。
 ドイツにはトルコからの移民労働者も多く、ドイツ社会におけるトルコ人の受容や経済的地位も、必ずしも良好とはいえない。そのようななかで、パムクがあえて語るのは、文学が果たす重要な役割のひとつ、「他者」の他者性を揺さぶることである。文学作品に描かれた物語は、読者にとっては、他者のことであるにもかかわらず、まさに自分のこととして受けとめられるかもしれない。同様にすぐれた作家は、自らを素材に、普遍的な人間の物語を描くことが可能である。すなわち文学の悦びとは、他者と自己との境界線に疑問を投げかけ、それを変化させ、楽しむことにあるのだ。
 しかし、そうした問いの提示は、まさに小説がはらむ政治性と不可分である。特に小説が、声無き者の声を、抑圧された者の言葉を言語化するとき、それは民族や国家をめぐる、潜在していた緊張を表面化させることがある。
 それでも、そしてそれだからこそ、パムクは小説の価値を擁護する。パムクにとってヨーロッパとは、そうした役割を担う小説という芸術抜きには考えられないものである。そうした芸術を生み出したヨーロッパが、トルコという「他者」をEUの中に受け入れるのかどうか、と問いかけるとき、トルコの小説家パムクの真骨頂が発揮される。

地域から世界へ
 日本語版では特別に、作家・佐藤亜紀氏との来日特別対談(2004年秋)と2006年11月『ミッリエト』紙に掲載された授賞式直前インタビューも収録される。
 2004年の初来日時に収録された佐藤亜紀氏との対談では、作家同士ならではの、執筆上の細かなエピソードが披露される。作品タイトルの決定に苦労するといった話も微笑ましい。
 逆にノーベル賞受賞決定後の『ミッリエト』紙のインタビューでは、トルコの読者にいかに語りかけるか、注意深く言葉が選ばれている。「トルコの読者に愛されたい」「トルコ語は自分の全て」という発言には、たしかにトルコ国内向けのアピールが感じられるが、イスタンブールを愛し、そこに住み続け、既に『イスタンブール』という作品をものしているこの作家の、そのような一面を殊更取り上げることにいかほどの意味があろうか。むしろ地域性の追究が普遍性へと架橋された点に、パムク作品の真髄があるのではないだろうか。


 ノーベル賞発表後、翻訳された言語は49か国語に上った。ほとんどの国でも、出版社は5、6版をかさねたという。邦訳も刊行されている『雪』は総計 150万部、『わたしの名は紅』は100万部売れたという。話題作『イスタンブール』の邦訳刊行を間近に控え、本書はパムクの思想と作品世界を知るうえでの恰好の手引きとなろう。

(わくい・みちこ/中東工科大学〔アンカラ〕勤務)