2007年05月01日

『機』2007年5月号:「戦後占領期文学」とは 紅野謙介

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占領時代の始まり
 1945年8月15日。日本にとって無条件降伏の日であり、大日本帝国の植民地であった台湾、朝鮮、満洲などの地域のひとびとにとっては解放の日であり、アメリカを始めとする連合軍にとっては勝利の日であった。
 この敗戦の日以後、日本はいまだかつてない歴史を体験することになった。連合軍による占領時代の始まりである。
 もちろん、戦時中を大日本帝国の陸海軍による日本の占領であったと言えないことはない。しかし、兵士は帝国臣民たちから徴兵され、陸海軍総司令部は日本人将校たちによって構成されていた。

情報の鎖国から
 しかし、その大日本帝国は崩壊し、その国境は大幅にぬりかえられたのである。死の恐怖は去ったものの、「内地」に復員兵や引揚げ者があふれ、貧困と飢餓、絶望と憤怒がうずまいた。
 同時にひとびとはそれまでの情報の鎖国から解き放たれた。戦時下とはまた異なるかたちで占領軍による情報統制、検閲があったにもかかわらず、ひとびとは粗末な紙に印刷された出版物に殺到した。そのような状況下でも多彩な花が咲いたのである。
 政治的には、占領軍と日本政府の虚々実々の協働作業によって、現在にいたるこの国のかたちが決まったのも、この戦後占領期である。

コレクションの特徴
 本コレクションは、1945年から1952年までの戦後占領期を1年ごとに区切り、時系列順に構成した。但し、1945年は実質5ヶ月ほどであるため、1946年と合わせて1冊としている。
 編集にあたっては短篇小説に限定し、1人の作家について1つの作品を選択した。
 収録した小説の底本は、作家ごとの全集がある場合は出来うる限り全集版に拠り、全集未収録の場合は初出紙誌に拠った。
 収録した小説の本文が旧漢字・旧仮名遣いである場合も、新漢字・新仮名遣いに統一している。

何をとらえ、何をとらえそこねたか
 敗戦から1952年にいたるこの未曾有の時期に、文学にたずさわるものたちは何を描き、何を見ていたか。何をとらえ、何をとらえそこねたのだろうか。
 小説はその時代に生きたひとびとの言葉と緊密な関係を結んでいる。
 きびしい制約のなかで書かれた短篇小説を通して戦後占領期をあらためて検証し、いまの私たちを問い返すため、「戦後占領期 短篇小説コレクション」全7巻を企画した。

(こうの・けんすけ/日本大学教授)