2007年02月01日

『機』2007年2月号:書かれたことのない歴史 アラン・コルバン

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●匂い・音・快楽・からだ……五感を対象とする稀有な歴史家の最新作!


 現在の天候、それ以上にこれからの天候がどうなるかは、現代人の主要な関心事の一つである。周知のように、天気予報はテレビ・ラジオ放送の中でもっとも視聴者の多い番組であり、その女性キャスターは親しみ深い存在として人気者になる。かつての手紙による知らせと同じように、現在は電話での話題はじつに多くの場合、空模様に関係している。要するに天候の話というのは典型的なニュースであり、会話の発端となり、雰囲気を和らげ、必要とあらば差し障りのある話題を避けるのに役立ち、話し手の社会的、地理的指標を明示する役割を容易に果たすことができる。したがって私が選んだ対象は、現在に向けられる関心の歴史や、人々の行為と活動を構造化している期待や不安の歴史と密接に結びつく。
 さて、天候へのこうした関心とそれが示す配慮にはそれなりの歴史がある。この歴史は気象学とその記録活動の歴史と深く繋がっているとはいえ、やはりそれとは区別して考えるべきものだ。2001年から、国際気象歴史委員会(ICHM)が年に一度の大会を開催している。この分野には既に専門家がいて、もっとも若手の専門家はドミニック・ペストルの指導を受けたファビアン・ロシェである。ロシェが明らかにしたところによれば、1830年から1880年に至る時期において、天候の自然史は物理的環境を研究する諸科学の全般的な発展と関連している。こうして観測の規模が変わり、大量のデータの蓄積とその数的処理にもとづく総観気象学および予報気象学が練り上げられた。しかも私が今言及している領域は、たいてい人類学や文学史研究の分野から出発した研究者たちによって先鞭がつけられた。マルタン・ド・ラ・スディエール、ピエール・パシェ、アヌーシュカ・ヴァザク、ダニエル・パロッキア、そして最近ではクリストフ・グランジェなどである。それゆえ、私の話も問題を総括するという趣を呈することになるだろう。
 天候にたいする感受性をめぐっては、その前史があり、感覚文化の領域ではほとんど常にそうであるように、この前史もまたイギリス起源である。つまり、気象の変化を私的なかたちで記録することに関する前史ということだが、この記録は自己を語るエクリチュールの芽生えと繋がり、土地の歴史を綴り、フランスやイタリアで書かれていた家事日誌に似た一種の日記をつけたいという欲望と結びついていた。17、18世紀のイギリスではまた、天候について記述し、それを書き手が暮らす土地に影響を及ぼした経済的、衛生学的、あるいは社会的な出来事と関係づけるのが通例だった。2000年にシカゴ大学出版局からウラディミール・ヤンコヴィッチが素晴らしい本を出したが、『空を読む――イギリスの天候の文化史、1650―1820年』という表題だけでもすでに示唆的である。この本では感性の領域に属することは主要な問題ではないのだが、こうした慣習行動の近代性については後ほど改めて触れることになろう。この近代性はセヴィニェ侯爵夫人〔フランスの書簡作家、1626―96〕の手紙にも見られるものだが、しかしフランスでは例外である。
 そのうえ、おそらく皆さんもすでに考えたことだろうが、半世紀も前から気候の歴史は存在している。代表的なのは1967年に刊行されたエマニュエル・ル=ロワ=ラデュリの見事な著作『気候の歴史』(小社刊、2000年)であり、著者はその新たな増補改訂版を2004年に出した(小社近刊)。これは経済的、社会的な視点、さらにより広く生態学的な視点から書かれた気候変動の歴史である。この歴史は当初、地球の気候の年代記を作成し、その波動を見つけ出し、気候変化のサイクルあるいは少なくとも周期性を見きわめようとした。ル=ロワ=ラデュリは歴史上のさまざまな災厄、食糧危機、飢饉あるいは食糧不足、そしてそれが引き起こした穀物騒動に着目する。より広く言えば、彼は気候情勢が経済成長の速度に及ぼす影響を認識しようとする。これらはすべて、かつて地方の観察者に気象の変化を記録するよう促した目標に近いものである。この方法は、歴史の流れを周期的な運動によって区切られる年代記の中に組み入れようとする視点、1950年代末から1960年代初頭にかけて支配的だった視点に立脚している。
 最近ではリュシアン・ボイアが、聖書で語られているノアの大洪水が引き起こした恐怖であれ、世界の終末によって引き起こされる恐怖であれ、あるいはまた地球温暖化がもたらす不安感であれ、「気候に由来する精神不安」の変化を見出そうと努めた。こうしてボイアは、気候の未来をめぐる想像力によって、人間が古代以来どのようにして不安と期待を表明してきたかを跡づけてみせた。
 繰り返しになるが、私の話の対象は以上のようなことではなく、だからこそ明確にする必要があった。対象は次の4つの要素に分けられる。
 1、天候への関心のあり方と、天候を記録する方法の歴史、そしてまた記録者の数の歴史。この点についてウラディミール・ヤンコヴィッチが示したところによれば、近代イギリスでは、あらゆることに関心を持ち、トーリー派の世界に帰属し、地元にしっかり根付いた聖職者と紳士が、もっとも注意深くこの種の記録に携わった。ファビアン・ロシェは1850―60年代のフランスにおいて、特に小学校教員を養成する師範学校の内部で、天候を観察するグループが作られたことの意義深さを強調している。こうして地方では、小説家シャンフルーリがあざ笑った素人気象学者という新たな集団が生まれる。伝統的な科学と密接な関わりを持つ観察者にたいして、それとは異なるより大衆的な気象学を推進しようと望む「天候の預言者」たちが登場したのである。
 2、天候の感じかた、評価のしかたの歴史。この評価は、悦び、無関心、あるいは嫌悪として示される。要するに、いわゆる感覚文化の領域に属するものの歴史ということであり、この感覚文化は部分的には、感覚器官による伝達内容の強さにたいする許容度の水準によって規定される。
 天候を記述し、予想し、記憶する方法の歴史は、感性と直接に関係するこの歴史と深く結びついている。今日、フランス気象台は天候の観察と分析の精度を絶えず高めており、およそ百種類の天気を区別している。一例を挙げるならば、第49番は次のように定義されている。「霜が降りるほどの霧、空は見えない」。天気予報への関心、天気予報の需要にはそれなりの歴史がある。たとえばファビアン・ロシェによれば、こうした天気予報への欲求が高まり、当初は風向と風力に適用されていた確率という概念が新たに影響力を獲得したのは、1860―70年の10年間であるという。
 3、上述のこと、つまり表象体系と評価様式の体系(あるいは単に一連の表象と評価様式)から導き出される行動と実践の歴史。
 4、そして最後にこの歴史は、天候への関心によって決定づけられる諸政策の歴史を包含しうる。
 要するに私の対象は文化史の一要素、つまり表象と評価の社会的形態をめぐる歴史の一要素をなす。より厳密に言うならば、この対象は身体文化と関連し、感覚センターとして捉えられる身体に関するあらゆることに向けられる関心とも一致する。

 
 そこで天候にたいする感性の問題に移ろう。この点については、およそ1770年から1880年に至る長い一世紀に特徴的なのが、天候と、それが人間の肉体面と精神面に及ぼす影響への関心が強くなったという事実である。ただし、この関心はそれ以前に各地方レベルで例外的な現象に収束して向けられた関心とは異なるし、その後向けられることになる関心とも異なる。それがこの問題を歴史学の対象にする所以である。私はたとえばここで、上空で発生する現象が人々の関心事の世界と繋がっているということを考えている。それはたとえば20世紀半ばでは、一般大衆においても大学における気候学の教育においても、ジェット気流の概念が裏付けていることだ。したがって私はこの歴史の本質的な時期を選んでいるわけで、繰り返しになるがこの歴史はまだ書かれていない。


(Alain CORBIN/歴史家)