2006年09月01日

『機』2006年9月号:黒衣の女流画家、ベルト・モリゾ 持田明子

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●未発表資料を駆使した画期的評伝!


 パリのオルセー美術館の至宝の一つ、エドゥアール・マネの《スミレの花束をつけたベルト・モリゾ》(1872年)。さほど大きくないこの作品(55×38㎝)を、後にポール・ヴァレリーは、「マネの勝利」(1933年)で、画家の最高の作と評した。


艶やかな黒のドレスと帽子。首に巻いた帽子のリボン。胸元には宝石の代わりにスミレの花束。微笑んではいない女性の顔。半ば甘えて、半ばすねたように小さくとがらせた唇。黒色を帯びた目に金色の輝き。大きく見開き、画家に真っすぐに向けられた確かなまなざしに浮かぶ誇りと、抑制された情熱……


 見る者の視線を集め、心をとりこにするこのまなざしに導かれるように、著者ドミニク・ボナは、マネがカンバスに永遠にとどめた一人の女性の物語――自らも印象派の主要メンバーであり続け、1874年の第一回印象派展から1876年の最後の印象派展(第8回)まで総数80余点を出品したベルト・モリゾの物語を、そして、全部で11点(油彩)のベルトの肖像を制作したマネとベルトの秘密の物語を明かそうとする。フランス学士院図書館に残された未発表の原資料、多数の書簡や私的なノートを通して。
 厳格な社会的規範の中で、女性が職業に就くことは決して推奨されず、どれほど豊かな才能に恵まれていようとも絵筆を持つことはたしなみでしかなかった 19世紀ブルジョワ階級の、そして、官立美術学校が女性に門戸を閉ざし、私塾か、ルーヴル美術館での模写を通してしか技法を学ぶ手段のなかった時代の物語。


 ベルトの物語は、遠くジャン=オノレ・フラゴナールから始まる。印象派の画家たちに一世紀先んじて、光のあらゆる輝きを観察したこの偉大な画家の、直系ではないにしても、子孫だから。
 1841年、ベルトは知事職にあった父の任地ブールジュに生まれる。1852年以降、モリゾ家はパリに居住。
 官展(サロン)に公然と背を向けて世間の揶揄嘲笑を浴び、「精神異常者たち」のレッテルを貼られながらも、新しい旗印のもとに集まったグループにひるまずに身を置き、職業画家として自らの理想――過ぎゆくつかの間のものを瞬時に捉えてとどめる――に向かう道を歩み続ける自由をついに手にしたベルト・モリゾ。その内面の軌跡を著者のペンが丹念にたどる。時に息苦しさをおぼえるほどに、ベルトの心のひだに近づきながら。
 ベルト・モリゾはエドゥアール・マネの弟ウジェーヌと結婚し、娘ジュリーを得た。画家としての使命に加えられた母の強い思い。成長する娘のひととき、ひとときの姿をとどめておこうとするかのように、ジュリーの姿が数限りなくカンバスに写される。
 だが、本書の著者のまなざしはベルトだけに向けられているのではもちろんない。
 マネの周りに、バティニョル界隈に集まった、いわば体制に反逆する多くの若い画家たちの群像が、彼らの賑やかな話し声や笑い声とともに、マネが近くのカフェレストランから運ばせるビールのにおいとともに、現出する。ファンタン・ラトゥールが、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌがいる……ドガが、モネが、ルノワールがいる……画家ばかりではない、ロッシーニが、ボードレールが、マラルメがいる……。著者の生彩あるペンが描き出すのは、印象派の誕生を中心にした、まさしく19世紀後半の画壇や文壇の大フレスコ画だ。普仏戦争前夜、敗戦、それに続く流血のパリ・コミューンに揺れるフランス社会を背景にして。

(もちだ・あきこ/フランス文学)