2006年04月01日

『機』2006年4月号:セレンディピティとは? 村尾清一

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「セレンディピティ」とは?
 セレンディピティ(serendipity)、この聞き馴れない英語の単語を聞いたのは、十数年前、白井君(故人・朝日新聞「天声人語」筆者)からだった。
 京都へ古書を探しにいって、目当ての本はなかったが、東京でどうしてもみつからなかった珍しい本を見つけた話をすると、白井君は言った。
「セレンディピティ」
「セレン……なんだって?」
「当てにしなかった良いものを偶然発見する能力のことを、英語でセレンディピティと言う」
「じゃあ、棚ボタに近い言葉だね」
「少し違うな。なにか探し物をしていたら偶然さらに良いものを見つけることがある、一種のカンみたいなものだけど、才能と言えないこともない。“掘り出し上手”と訳してある辞書もある」
「ここ掘れワンワン――大判小判がザクザクザクザク……というところか」
 古い英和大辞典を引くと、「セレンディピティ、英作家ホレース・ウォルポール(1717-97)の造語。おとぎ話『セレンディップの三人の王子』の主人公たちが、絶えず、巧みに珍しい宝を発見することにちなんで」とあった。
 セレンディップとは、インド洋のスリランカ(旧名セイロン)の古名とわかって、私の興味は深まった。

「ウォルポールの幸運」
 三人の王子の話は西紀五世紀、日本では倭の五王の時代の話だ。十六世紀には、イタリアで『セレンディップの三人の王子』という題で出版された。十八世紀には、欧州の知識階級の一部には知られていたらしく、ヴォルテールの『バビロンの王女』でも「迷ったラクダ」の特徴を言い当てる部分が使われている。
 ホレース・ウォルポールは、英国の初代首相ロバート・ウォルポールの子で政治家兼作家。イタリアへやってきて、友人の公使マンがくれたビアンカ・カペッロ妃殿下の肖像の額に使う家紋を探していたところ、その家紋の載っているヴェネチアの古書を発見した。
 「このように探しているものをすべて見つけ出す私の探索能力を“ウォルポールの幸運”という人もいます。私自身は“セレンディピティ”と私が名付けたな力によるものと考えています」(1754年1月28日、マン宛書簡)

科学者たちの「セレンディピティ」
 「探し物をしているうちに、もっと大切なほかの物が見つかること」は、だれもが経験することだが、この「セレンディピティ」は、近代社会の科学や産業技術の幾多の発見発明の際に、専門家たちの間で、しばしば話題になっている。
 2000年、ノーベル化学賞を受賞した白川英樹筑波大学名誉教授は、ストックホルムでの授賞式のスピーチに、セレンディピティを援用したそうだ。
 十九世紀にはまだ珍しかったこの単語は、英国では出版や映画によってかなり一般的となり、ホテルや店の名に使われている例もあると聞いた。
 日本民話では、切り株にウサギが衝突するのを待つ「待ちぼうけ」より、一本のワラの発見から富豪になる「ワラシベ長者」に近いだろう。

深い理性や智恵の裏付け
 人生の重大なに立ったとき、どちらを選ぶかは、その人のセレンディピティによる。「幸運を招き寄せる力」(『広辞苑』第五版)をその人がもっているかどうかだ。それはカンや単なる感性ではなく、深い理性や知恵の裏付けがなくてはならない。阿修羅の森を「孔雀の尾羽」でくぐりぬけても、怪物や女王のテストが待っている。すべて巧くいってたとえ女王としても、その行末をだれが知ろう。
かの時に我がとらざりし分去れの片への道は いづこ行きけむ(皇后美智子)

(むらお・きよかず/日本エッセイスト・クラブ会長)
※全文は『セレンディピティ物語』に収録(構成・編集部)