2006年04月01日

『機』2006年4月号:歴史への招待――ブローデルを読む T・パコ

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反「ブローデル主義」
 種々さまざまの論考を本書に集めたのは、フェルナン・ブローデルの貢献の重要性を判断するためである。
 重要であったのは、「ブローデル主義」をつくることでも、非凡な一人の歴史家に「敬意を表す」文章を集めることでもなく、彼の作品を読んで触発された歴史家、経済学者、社会学者、地理学者が何を考えているかを論稿で示すことであった。確認、留保、敷衍、批判(批判という語のカント流の意味での)が、ある者にとっては気まぐれで無秩序な読み方から生じ、またある者にとっては体系だった読み方から生じた。


触発された歴史家、経済学者、社会学者、地理学者たち
 こうしてイマニュエル・ウォーラーステインは、ブローデルが変動局面に与えた位置を検討する前に、駆け足で彼の伝記をなぞっている。
 モーリス・エマール(歴史家)は、批評家に必ずしも十分に受け入れられてはいないが、一般読者には大いに受け入れられている『フランスのアイデンティティ』が、いかにブローデルの業績のなかで主要な作品であるかを明らかにする。
 ミシェル・モリノー(歴史家)は『物質文明・経済・資本主義』についてかなり詳しい貴重な批評を行い、そしてフェルナン・ブローデルのいくつかの概念操作の性格について検討している。
 フランソワ・フルケ(経済学・社会学者)は、ブローデルにおける時間と空間の組合せの重要性を情熱的に述べる。彼によれば、以後ブローデルはわれわれに従来とはまったく異なる世界史の読み方を強いることになる。
 それに反して、アラン・カイエ(社会学・経済学者)は、市場に関するブローデルの分析を受け入れず、カール・ポランニーの分析をそれに対置する。
 フィリップ・ステネール(社会学・経済学者)は、ブローデルの典拠のなかにマックス・ヴェーバーがほぼ欠落していること、しかし一方で両者のあいだには、知っていればためになる多くの共通点といくつかの相違が存在することを指摘する。
 フランソワ・ドス(思想史家)は、ブローデルの遺産が単一ではなく、相続人は数多く、そのそれぞれは残された知的財産の一面だけで収穫をあげていることを明らかにする。
 イヴ・ラコスト(地理学者)はといえば、『地中海』の歴史家の業績における地理の位置をきわめて独特な方法で分析し、地理は検討に付された時間のリズムそのものに従って変化するということに気づく。ブローデルにあっては、地理は、長期持続におけるのと短期持続におけるのとでその重要性は同じではないのだが、地理もまた歴史をつくるのに役立つ……。


他の社会科学に開かれた書
 本書は、フェルナン・ブローデルの作品を通しての歴史への招待であり、歴史を優先してはいるが他の社会科学すべてに開かれた書である。
 彼の業績を、議論の余地のない集大成、聖域、いかなる注釈も行えないほどの尊敬の念をもって訪れるモニュメントにしないようにしよう。彼の業績を絶対的なものにしないようにしよう。図式や出来あいの思考にたいする次のような彼の懸念を忘れないでおこう。
 「今日のマルクス主義が、純粋状態のモデル、モデルのためのモデルの虜となったすべての社会科学がさらされている危機のイメージそのものに、私には見えてしまうことも付言しておきたい」。

※全文は『開かれた歴史学』に収録(構成・編集部)