2006年04月01日

『機』2006年4月号:「植物からいただく」 志村ふくみ・鶴見和子

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植物から色をいただく
志村 植物染料は、全く相手任せです。そのことがだんだんとわかってきて、植物に深入りしてくると、じゃあ、色は一体何だろうかと。何を植物が蓄えているのか。何を人間に訴えているのか。染色というのは、単なる色を染めて、機を織るとか、この色がいいとか、化学より植物染料の方がいいとか、そういう分け方ではないんじゃないかと。この色の奥にある世界が少しわかりかけてきたようにも思いますが、まだわからないんです。その一番のキーポイントが緑だったんです。藍と黄色をかけなければ出ない。


鶴見 藍と黄色をかけた時に、初めて出てくる。だけど自然にはこんなに緑は満ち満ちているのにね。ましてや緑って一口にいうけど、違うのよね。一つ一つ違うのよ。


志村 こんなにあって、無限に変化があるのにと思いますが。さらに、一日一日違うしね。命のきらめきのようなね。陽がさしている時と、少し曇っている時と全然ちがいますね。形も一つ一つちがいます。同じものは自然に一つとしてありませんね。


鶴見 それはもう色名では言えないわね、表現出来ない。ピッタリくる色名がないもの。いうなれば色名以上の色の違いがあるということね。


志村 色というものをもっと、単なる色彩として考えてはいけないなと思い始めてから、いろんな色が全体に少し水準があがってきた。ただ色を出しているんじゃないということがわかった時に、初めて植物の方がほんとの色を見せてくれだしたというんですか、こちらの色の見方に変化が出てきました。
 ゲーテは「植物は秘密を打ち明けてくれる」と書いているんです。人間が勝手に木を伐って、色を出して、ああ、植物染料の色が出た、では秘密は打ち明けてくれないんです。そうじゃなくて、植物からいただくんだ、どんな色が出るかわからないけども、いただくんだと思った時に初めて、植物が秘密を打ち明けてくれ始める。植物は自分を投げ出して色をみせてくれるのです。植物に対する畏敬の念が大切ですね。

人間と植物の魂の触れあい
鶴見 こっちに語りかけてくれる。自然と相対で沈黙の対話をいつでもしていらっしゃるということね。
 いつもは人間が偉そうにして、植物はこんなところにいて、バサッバサッと伐って、だから植物は知らん顔してますよね。だから染色というのは宗教に近いですね。いや、そうしていただいた色を自分が着るのよ。だから今度は、この皮膚と触れあって……。命と命の触れあいになるのね。化学染料ではそれがむずかしいわけね。


志村 命と触れあってはじめて色が出てくれる。化学染料では植物繊維は染まらないんです。正直なものですね。今の化学繊維は、化学染料で染まるのです。


鶴見 絹とか、麻、木綿とか、それから羊毛は染まるのね。そういうものでなければ、色を出してくれない、魂の触れあいがないから。
 きものというのは植物繊維で出来ているから、いつでも触れあっているのよね、人間の魂と植物の魂が触れあっている。それを染めて、織った人の魂もここにこもっているから、いろんな魂が触れあって、毎日を生かしていただいている。


志村 植物の方からおしえられるんです。それを現代は全く抹殺して魂の触れあいなんてありません。


鶴見 化学繊維だったら、魂はどこにもないわね。

(構成・編集部)
(しむら・ふくみ/染織家・人間国宝)
(つるみ・かずこ/社会学者)
※全文は『色の思想/きものの思想』に掲載