2006年02月01日

『機』2006年2月号:諸文明の萃点を求めて 服部英二

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あふれ出る生命の響き
 私の一生で、鶴見和子さんにお会いできたことは、本当に幸福でした。
 類い稀な知性と感性を兼ね備えた国際人、その姿は多くの人びとに憧憬を抱かせるものでした。殊に私が感銘を受けたのは九五年、鶴見さんが病に倒れられたあとの生き方です。半身不随となった鶴見さんは「歌」によって「回生」する。輝くばかりに甦るのです。その歌、それは体内から湧き出るようだった、といいます。
 永らくアメリカで暮し、流暢な英語で数々の国際会議をこなし、「内発的発展論」や「南方熊楠論」をものし、学界に大きな足跡を残したこの方が、着物を愛したように常に短歌にたしなんでいたのではありません。大和言葉の言霊が、この試練の時、鶴見さんの内奥から、しかもそれ迄の真理の探究と呼応するかのように、あふれ出てきたのです。
 それは生命の震動であり、響きでした。「言語は音である」とはこの対談で二人が語り合ったことですが、文化の中核に位置する言葉は、その響き、旋律によって宇宙の大いなる生命につながっています。
 「五大に響きあり」との空海の言葉は、地・水・火・風・空、すなわち世界を形造っている要素がすべて結びあい、宇宙に充ち満ちる響きをもつ、という真言の極意を表わしています。

宇宙の響きへ
 およそ創世神話はすべて混沌から始まります。その中に一つの震動、響きが起り天地・生物が生まれてくるのです。そう見るとヨハネ伝の「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」もまた、「太初の混沌の中に一つの響きが起った。その響きには法則が伴っていた。響きそのものが法であった」と読みかえられるのです。 鶴見和子さんの回生の歌に、私が生命の響きを感じるのは、それが個なる生もまた宇宙の生命の響きにつながっているという真理を表わしているからに他なりません。大宇宙に生れた銀河系の一つの小さな水の惑星に奇しくも出現した生命系、ただ一つの生命の循環と多様化、その集合と離散の相を見事に把えているからです。曼荼羅の思想に至った鶴見さんの歌の響きは、そのまま宇宙の響きを表わしています。

生かし生かされる自己
 この対談ではまた、生かし生かされる自己、非自己の存在を必要とする自己、ということが語られました。「文化の多様性」の意義です。文明は絶えず出会い、出会いによって成長する。この「文明の対話」の実相は、他文化に対する「互敬」に人びとを誘うものです。他文化に対する無知とそれによる倨傲は今世紀に入っても中東を中心に数々の紛争を引き起しています。自らの価値が世界の価値と信じる米現政権による市場主義の推進は、地球を確実に壊し、人類もまた存亡の危機に追いやるでしょう。

諸文明の萃点を求めて
 この中にあってユネスコ総会は、2001年の「文化の多様性に関する世界宣言」に続き、05年10月「文化の多様性に関する国際条約」を圧倒的多数で採択しました。地球と人類の将来を案じる国際社会は、人間のこころ、魂の領域を市場原理に任すことを拒否したのです。その直後の11月、国際シンポジウム「文化の多様性と通底の価値」が、パリで行なわれました。文化の独自性を尊重しつつ、諸文明には深みにおける出会いがあるのではないか、を問うたものでした。これ程日本的霊性の普遍性を正面切って問うた会議は前例がないのですが、一見相容れぬと思われがちな一神教と多神教を代表する学者達の間には驚くべき知の収斂が見られました。諸文明の萃点を求めた鶴見和子さんとの対話は、世界の舞台でも始動しているのです。

(はっとり・えいじ/ユネスコ事務局長官房・特別参与)
※全文は『「対話」の文化』に掲載(構成・編集部)