2005年10月01日

『機』2005年10月号:「日韓関係」再考――過去・現在・未来 小倉和夫+小倉紀蔵+姜尚中+高崎宗司

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「ルック・コリア」
小倉(紀) 2000年の6月あたりから日本の中で韓国に見習おうという主張が顕著に現れてきました。ちょうど日本で総選挙がありまして、それとほぼ同時に南北首脳会談がありました。そのときに「変わらない日本/変わる韓国」、それから「前進する韓国/停滞する日本」という図式が非常に鮮明に打ち出された。メディアの種類で言えば、例えば岩波書店の『世界』、それから『朝日新聞』、その系統のメディアが特に「ルック・コリア」ということを打ち出し始めた。こうした動きは、日韓関係をこの20年近く見ている私としても驚きました。
 70年代の後半あたりから日本社会がポストモダン化してしまって、その状況にもうにっちもさっちも行かない閉塞感を感じている人たちが、そのブレイクスルーとなりうる理念、あるいは人々の振舞い、たたずまい、そういうものの理想を韓国に求めているのだと思います。これは、日本がポストモダンからもう一度モダンに戻る、そういうプロジェクトなのではないか。
 このことに関しては別に善とも悪とも、私は価値判断をいたしません。しかしいずれにせよ、一ついいことだと思うのは、日本と韓国がかなり対等に、お互いの価値をやりとりするような関係になっているということです。

竹島問題の論点
高崎 竹島(独島)問題については、放置しておけばまた忘れられるでしょうけれども、いつまでも引きずってときどき問題にするよりは、解決してしまった方がよいと思います。
 短い時間でまとめるのは難しいのですが、竹島問題を考えるときには四つの問題があると思います。一番目は、元禄時代に日本が竹島(当時の日本側の呼称は松島)への渡航を禁止したかどうか。二番目は、明治初年に竹島は日本の領土でないと明治政府が認めたかどうか。三番目は、1905年の竹島日本編入が合法かつ正当であったかどうか。四番目は、サンフランシスコ平和条約でどう処分が決められたか。これが主な論点になります。
 元禄時代に、当時の竹島、つまり今の鬱陵島渡航を禁止した老中、これは阿部豊後守正武という人が中心だったんですが、彼は次のように言っています。「但無用の小島の故を以て、好みを隣国に失する、計の得たるに非ず」、「相争ふてやまざらむよりは、各無事ならむにしかじ」。こうした決定の背後には朝鮮通信使に象徴されるような文化交流、善隣関係がありました。文化交流を一層盛んにする中で、江戸時代に朝鮮との「誠信の交わり」を説いた雨森芳洲とか、浅川巧、柳宗悦、ひいては阿部正武のような人をふやしていくことが、今後の日韓関係にとって非常に大事なのではないでしょうか。

東北アジアにおける冷戦の解体
 「世界の中の日本と朝鮮半島」という面を見ることで、逆に日本をかなり客観的に位置づけられるのではないかと思います。いま進んでいるのは、東北アジアにおける冷戦体制の解体過程の始まりという事態です。45年の日本の敗戦と朝鮮半島の解放があり、そして52年に日本は主権を回復する。他方、朝鮮半島は結局内戦へと突入していく。そこから何が生まれたかというと、朝鮮戦争とは、「東北アジア戦争」とも言うべき戦争であって、48年頃を分岐点に、日本と朝鮮半島は、いわば完全に違うコースを歩むことになった。
 しかしその後、ヨーロッパで冷戦が終わり、90年代頃から日本も急速に変わっていった。45年の敗戦あるいは解放から六、七年ぐらいで構築された東北アジアの冷戦体制が明らかに崩れてきて、東北アジアでパワーシフトが起きている。それは、アメリカ、日本、韓国、そして場合によっては台湾を入れたハイアラキカルな関係が崩れてくるということです。そしてそのことが、南北関係において、また逆に言うと日朝関係において際立って現れてきている。つまり、米韓日のトライアングルの中から、韓国が相対的に離脱していくということです。そうして60年間続いた構造が少しずつ変わってきている。南北の共存統一へのなだらかな始まりが今スタートしているわけですが、それはゆっくりした動きであっても、やはり60年間続いていた構造が解体されていくことですから、大きな変化です。それは明らかに東北アジアにおける冷戦の解体を意味しています。

日韓の認識ギャップ
小倉(和) 私はどちらかというと、最近起こっていることの一番の問題は、むしろ韓国の中の話だと思います。もちろんこれは日本の方にも原因はあります。しかし韓国の方で急激にいろいろな問題が起こっていて、日本と韓国の間で大きな認識のギャップが生じている。
 これはどうして起きているかというと、一つはアメリカとの関係という問題がある。日本の方は、急速に日米関係が世界規模のものになっている。イラクがいい例ですが、日米同盟が極東の安全保障の要素ではなく世界的ファクターになっている。ところが韓国にとってアメリカというのは、急速に戦略的価値を減らしています。そこでギャップが生じている。
 中国との関係でも非常な違いが出てきています。また日本は政治的体制の違いを問題とするけれども、韓国には北に対する親近感もある。そうした認識のギャップが急速に大きくなってきている。
 それからもう一つは世代間のギャップがある。日本にも新人類が出てきて、古い人はものすごく当惑しています。ここにいらっしゃる方は全然違いますが、いわゆる政界などで昔から韓国を相手にしている人を見るとものすごく当惑している。ところが日本の新人類は、ものすごい勢いで親韓国です。それで韓国の方でもものすごい世代間のギャップがある。そういうギャップがあちらにもある、こちらにもある。対日とか対韓の関係の違いというだけではなく、世代間で基本的考え方に大きな違いがあると思います。


(おぐら・かずお/元フランス・韓国大使)
(おぐら・きぞう/韓国哲学)
(カン・サンジュン/政治哲学)
(たかさき・そうじ/近代日本・朝鮮史)
※全文は『環』23号に掲載(構成・編集部)