2005年06月01日

『機』2005年6月号:時代を駆け抜けた二人 門田眞知子

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共に自由に生きた二人
 サルトルとボーヴォワール。二十世紀のフランスにおいてこれほど話題になり、また話題にされねばならなかったカップルはいなかったと思う。行動する(アンガジェ)作家として歴史の渦中に果敢に身を投じ、実存主義的立場から共に凄まじく書き、個性的で自由な二人自身の生き方において、彼らは時代の先駆であったといえる。二人は生涯、既成の結婚制度に囚われず、別の恋愛にも身を委ねたが、互いをパートナーとして最後まで信頼と自由を貫き、共に生きたのも事実であった。

最晩年の両者の傍で
 この原著者のクローディーヌ・セール=モンテーユは、最も若い世代として女性解放運動に参加し、当時、還暦直後のボーヴォワールに邂逅する。(『晩年のボーヴォワール』を参照)以来、稀有な生き証人となった。晩年のサルトルとは十年、ボーヴォワールとは十六年間、両者の私生活の傍にあって、多くの出来事を目撃し、近しい存在として二人の死を見守った。シモーヌから妹の画家エレーヌを紹介され、エレーヌとは殊のほか親密な友情を結んだ。日常の対話から得た様々な証言にもとづき、サルトルとシモーヌの子供時代や二人の固有の生活がかつてなく精彩で生き生きとした筆致で蘇る。
 この伝記はきわめてオリジナルなものである。文学者カップルが、誕生から未だ出会う以前の少年・少女時代の社会的状況と共に、彼らの心理的、精神的な面にも力点を置いている。その方法は常に二人を同時に眺め、時間の推移に従って有機的なバランスで語っていく。サルトルが、父親のいない「幸福な子供時代」から、肩まで届く巻き毛を切った大事件、「自分」のためだけに存在した母親が、権威的な別の男と再婚するまで。その桎梏からいかにサルトルが「自由」を求め文学を志したか。一方、シモーヌは良家のお嬢さんとして育ち、家族のなかの優秀な子供であったにも関わらず、受けた教育はカトリックの私立女学校、ドジール塾においてであった。サルトルとシモーヌの受けた教育の間には「開き」があったが、シモーヌの父親の浮気に「家庭の中に出来た男たちと女たちの間の不和」は、後にただ一つの共通の信仰、即ち自由へとシモーヌを駆りたてた。
 やんちゃな「評判の悪い」ノルマリアン(高等師範学校生)のサルトルの目の前に、知性溢れた美貌のお嬢さんのシモーヌが現れる。彼らの邂逅、そして哲学のアグレガシオン(上級教員資格試験)の受験勉強をともに始める情景は、われわれの青春時代にも通じる場面である。サルトルのノルマリアン仲間すべてを恋させたシモーヌは、以来「カストール(ビーバーの意)」の愛称を得た。

的確な歴史的背景、状況描写
 原著者は、数学者の父と化学者の母という学究的な雰囲気のもとで育った。シモーヌの少女時代の矛盾に同調し、自らのお嬢さん時代の意味をあらためて確認している様子も読み取れる。また自身、歴史学博士でもあり、第一、二次世界大戦、戦後50-60年代、アルジェリア独立運動、世界的に拡大された68年パリ学生革命、米・ソ冷戦時代の行動、ボーヴォワールのフェミニズム運動などに至るまで、歴史的背景、状況が的確に描き取られ、いかにも二十世紀の歴史を反権力的な立場で横断した二人の伝記として説得力あるものになっている。
 この三月、パリで、筆者は〈サルトルと彼の世紀〉展を見た。映像の中で動きしゃべる若いサルトルは、大変魅力的な男性であったが、いまもその著作と行動はわれわれに感動を与え続けている。

(かどた・まちこ/鳥取大学教授)