2005年05月01日

『機』2005年5月号:〈対談〉「モスメから娘へ」 高銀+吉増剛造

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誤解と錯覚の中から咲き出した花
吉増 高銀先生の「バダクチから私へ」という言葉の衝撃、そして「モスメから娘へ」という御発声の、それこそ生々とした架け橋の出現に驚いて、驚愕したところから高銀先生の非常に深い領土、それはもちろん朝鮮半島への橋、……その長い河原を歩いて、そしてとうとう渡るということを始めました、初めての橋、そこへの歩みから、四年になりました。
 その間に起こりました、手紙ではなかなかつづれなかったことを、今日は存分にお話をし、そして高銀先生のお声にじかに触れて、それを自分の中に入れてまた歩き出していきたいと思っております。


高銀 まず吉増剛造先生の詩の一部が韓国語で最近刊行されました。韓国のある評論家はこう申しています。「この詩は現代のシャーマンとも言える、そういう声がここに盛られているのではないか。資本主義社会の矛盾の中で真実を探り出す、そういう声がここにはあるのではないか」ということです。
 私自身吉増剛造先生の詩については現代の錬金術とも言える特別な詩であると思うんですが、その先生の詩は普通にはなかなか解読できない、やさしくはない詩です。そこには私たちがまだ解読できない古代の文字が絶壁のようにそそり立っていて、そこで私たち人類の祖先たちがある希望を示して、そしてその希望が今日に自分たちの前に爆発してきている。
 また、吉増剛造先生の詩の中には擬態語ないしは擬声語がありまして、これは全く自分には新しい詩の内容として感じられるんです。副詞が動詞になることをも、私は感じました。
 先生の詩の中で喜びというのは、誤解と錯覚の中から咲き出した花のように感じられます。この席もまた喜びの場です。そして私たちはこの中で、理解というよりもあるいは誤解が今夜伏在しているかもしれません。それを通して私たちの対話が創造されていくのではないかと思います。

ハングルに恋をした
吉増 本当に誤解あるいは誤読、間違えてあえて読んでしまう、それによって新しい言葉を獲得していく。そういった、高銀さんの言葉で言いますと「宇宙方言」への道が始まったのがちょうど四年前の衝撃的な出会いからでした。
 もしかすると僕はハングルに恋をしたのかも知れません。「恋しい哀号」という長い詩も書きましたが、先生にお会いして、それから『環』の誌上で、釜山にまで出してもらったりして、このところ私が恋人のように連れて歩いて、そして、詩作に大きな力を恵んでくれています『韓日・日韓小辞典』というこの辞書は、もう、ボロボロになってしまっています。
 この恋人、文字の恋人を手繰りながら、もちろんそれは韓国語に越境しようというのではなくて、絶対的に足りない言葉の方へ……それは子供の言葉であるかもしれないし、あるいは絶望的になって気がふれた人の言葉であるかもしれないし、あるいは本当に未練を残した人の言葉であるかもしれない、そういう絶対的に不足している言葉の領域の方へ導いてくれたのが、あえて高銀先生というふうに言わなくて、こうした出会いが生んだものであったということが、確実にいえるのだと思います。それは私の書いたものを読者が解いていかなければいけない問題なのかもしれません。それをいま高銀先生におっしゃっていただいたことを踏まえて、韓日、日韓の大きな問題の陰で、少しずつ僕なりに解いてレポートしていきたいと思っております。

(コ・ウン/詩人)
(よします・ごうぞう/詩人)
※全文は『「アジア」の渚で』に収録(構成・編集部)