2005年03月01日

『機』2005年3月号:岡部伊都子さんの手 朴才暎

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桎梏からの開放
 岡部伊都子という日本人を知らなければ、私の日本観は今日のようなものではなかったと思う。人は誰でも愛したい、愛され愛し合いたい。けれども、朝鮮半島と日本国のねじれた関係の中で、私たち朝鮮人は愛すべき日本人と出会うことができないでいた。心の鎧を取り払えば、細やかで穏やかな人々の住む、四季折々の彩りに恵まれたみずみずしい島国は、大陸にはない繊細な「美」の宝庫である。本来ならどれほど伸びやかに屈託なく晴れ晴れと、日本という出生の地を謳歌し、愛したかったことだろう。しかし植民地化された傷をおったまま、我が祖先の地は未だ分断の中にあり、清算も保障もされないまま、理不尽で不当な政治の現実に今も呻吟している人々がいる。朝鮮文化の結実は尊び略奪しながら、朝鮮人には関心を示さず賤しむ日本。いったい、どうやって日本人を愛すればよいのか。憎み、疑う対象の中で、日々の暮らしを営まなければならない葛藤。
 その桎梏から救ってくれたのが岡部さんであった。岡部伊都子という人によって、どれほど多くの朝鮮人が(そして日本人が)、「憎む」という囚われから解放されたか知れない。岡部伊都子という日本人に出会って、私は初めて解放され、凍えていた口から「日本語」という隣国の美しい音を安心して上らせ、尊い職能の人々の気高い志によって創り出され守られてきた日本文化と人を、岡部さんの愛するものとして捉えなおしてきた。

美の本質
 『美のうらみ』は岡部さんが四十三歳の時の作品だが、日本の四季、手仕事、祭りなど縦横無尽に語りつつ、反戦と反差別に貫かれた現在の仕事の、源流であることがうかがえる。ここには、昨今の日本の右傾化、復古主義の人々なら一見喜びそうな、日本の美を愛する岡部さんの細やかな記述があふれている。しかし岡部さんの仕事の偉大さは、それを単に「日本の美」とせず『美のうらみ』としたことにある。このタイトルははじめ岡部さんの提案ではなかったときくが、真の美が形成されるまでの本質をゆるがせにしない岡部さんの仕事を思えば、まさに本質をついたタイトルである。日本の美を愛し、その美が民衆の日の当たらぬ所業の中から生み出された尊い仕事の結果だと見通す岡部さんだからこそ、国家などというものが振りかざす伝統や文化という視点からではなく、各々の土着の民が産み出した実用と悦びの、珠玉の仕事の結果として「美」を尊ぶのである。
 絞りの帯を語って、女の誇り高くも過酷な労働に論がおよび、青松の美しさからハンセン病の苦しさに筆がおよぶ。多くの人が見過ごしてしまう野辺の花や、明るみ陰りの変化を見せる山間の小道、一枚の鏡の由来からさえ男女の愛の機微を語り、そこに至る悠たる時間を辿り、人々の日々の営みに共振し、涙する。人によっては「何もそこまで重く考えずとも、喜びだけをとりあえず味わえばよいものを」と思い、実際に口にしたにちがいない。しかし、表と裏は一体、表層は深奥あってのこととひとたび思い知った人にとって、そのような軽薄な楽しみなど、ありようはずもない。

清らかな産声
 岡部さんの手は、その華奢なお姿からは想像できないほど大きく力強い。七十年間ペンを握ってきたその手に、私は私の中で育まれていた「出生地への愛」を、温かく取り上げていただいた。それは初め望まれずレイプのように宿った「鬼子の日本」であったとしても、切なく苦しくそして愛おしく私の胎内に育まれていたものである。岡部さんの清らかな手によってこの世に受け止められたその温かなものが、対立と憎悪の連鎖を断ち切り、どの民衆をも苦しめてきた「国家」と名づけられてきたものを打ち、乗り越え、新しい局面を開いてゆく可能性を私は信じる。わずか六十年前までの悲劇を決して繰り返さないために。

(パク・チェヨン/女性問題心理カウンセラー)
※全文は『美のうらみ』に収録(構成・編集部)