2004年12月01日

『機』2004年12月号:『沖縄・1930年代前後の研究』の意味 川平成雄

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沖縄社会経済史研究における空白を埋める
 沖縄にとっての1930年代前後は、激動の時期である。この激動期をどのようにとらえるかは、沖縄社会経済史にとって重要であるにもかかわらず、いまだ空白部分である。
 本研究では、第一次大戦中の砂糖景気から戦後反動恐慌、そして昭和恐慌と十数年連続する慢性的な不況過程である「ソテツ地獄」期、このことがもつ意味を、沖縄の基幹作目であるサトウキビ栽培、沖縄の基幹産業である砂糖生産を軸にあきらかにする。さらには、戦時統制経済下の沖縄の実相を解明することにも意を注いでいる。戦時統制経済が沖縄の人たち、沖縄の社会経済にどのような影響を与えたかを吟味することは、沖縄戦へと連なる道をあきらかにするために避けることのできない重要な作業である。にもかかわらず、あまりなされていない。このことにも取り組むことにした。

沖縄県振興計画の破綻
 第一次大戦の勃発は、日露戦争のあと、行き詰っていた日本経済に活況をもたらし、沖縄経済も砂糖の需要拡大によって砂糖ブームを引き起こす。それもつかの間、戦後反動恐慌、追い撃ちをかけ世界大恐慌が日本経済を襲って、昭和恐慌を現出させ、沖縄の経済をも襲う。生産農家は、黒糖相場の激落という現実に直面して、どのような対処の仕方をとったのか。このことの吟味をまずは黒糖生産費の分析から試みた。
 生産農家は家族生活の維持・継続に迫られ、労賃・肥料代・燃料代を切り詰める。ところが、肥料代の切り詰めはサトウキビの収穫高に影響をあたえ、燃料代は黒糖の結晶化のために必要で切り詰めには限度がある。とするならば、生産費を低下させるには労賃を低めるしか術はないのである。沖縄の生産農家は、零細的な規模ながらも、みずからが所有する土地および農具などの生産手段と家族労働力を結び付けて農業経営を営む。基底にあるのは、家族生活の維持・継続である。家族生活を満たすためには、農業経営に家族労働力を投入・利用する。沖縄の生産農家が、「ソテツ地獄」期下にあっても、サトウキビ栽培・砂糖生産に必死にしがみつく理由も、ここにある。
 沖縄の困窮にたいしての救済の取り組みが、沖縄県・中央政府の沖縄県振興計画であった。沖縄県振興計画は、沖縄のなかで生産し、沖縄のなかに生活する人たちにとって重要な意味をもっていた。だが、1937(昭和12)年の日中戦争ののち、勢いを増す戦時統制経済のなかに取り込まれ、意味を失ってしまい、沖縄戦に突き進む。

沖縄戦への道
 沖縄は、上からの戦時統制経済の徹底化、それにもまして民衆の下からの戦時統制経済の追従を余儀なくされる。沖縄における戦時統制経済は、五反未満の零細自作農、サトウキビ栽培、砂糖生産、甘藷の生産をどのように統制するか、このことを基本においていた。戦時統制経済が破綻するなかで、経済事犯の取り締まりを強化し、戦争遂行を容易にする必要から経済警察の登場をみるも、人びとの腹には勝てなかった。第二次大戦の悪化は、生活物資の悪化を呼び、配給統制が重みを増してくるが、機能をはたすことなく、まっていたのは沖縄戦へと連なる道であった。
 この沖縄における1930年代前後の意味を追究するのが、本研究の課題である。

(かびら・なりお/琉球大学教授)