2004年10月01日

『機』2004年10月号:子どもの苦しさに耳をかたむける 丸木政臣

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 2002年11月14日、中央教育審議会は「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」のためには、教育基本法の抜本的な「見直し」が必要だとの中間報告をまとめて、遠山敦子文部科学相に提出した。政府・文部科学省もその方向で、教育基本法の「改正」案を国会に提出しようと動いている。
 教育基本法は、日本国憲法の精神を生かし、その理想を実現するための教育の基本法として、尊重されてきた。憲法も教育基本法も、いくたびの試練に耐えて「改正」されずにきたが、今回、はじめてその改廃が、政治日程にのぼりつつある。

不毛の形式的論議
 私たちが危惧するのは、論議らしい論議を欠いた報告書の拙速なまとめかたである。「はじめに改正ありき」の政治主導で、議論がすすんでいるといえよう。
 今日の日本は、子どもと教育をめぐる深刻な危機に直面しており、その危機の打開こそが中心的なテーマのはずである。教育基本法の「改正」を企図するならば、まず、日本の教育の歴史的状況と、教育状況をていねいに検証し、そのことに正しくこたえられる教育基本法の「改正」であるべきである。文科省も中教審も、この基本をさけて、不毛の形式的論議をくりかえしているにすぎない。

敗戦の翌年の学習会
 私は敗戦の翌年、1946年に、熊本師範学校付属国民学校につとめた。
焼け跡、闇市の時代で、学校に職を得たものの、教師も生徒も腹をすかせていた。
 その年の十月、憲法・教育基本法の学習会が学校で開かれた。講義をするのは、校長の下条靖先生であった。
  ……教育基本法は、日本国憲法の教育版ともいえるものです。教育目標として真っ先にあげられているのは、「平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労の責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」ということです。
  私は、戦時中、師範学校で化学を教えていました。今日、この席にいる丸木君も、私の授業を受けていた人です。昭和十八年、戦局がきびしくなる中で、私は「いま、若者はみんな銃を持って戦地にいくべきだ」と説きました。生徒たちは次から次と、学徒兵として校門を出ていきました。丸木君のクラスからも、三人四人と戦死者が出ました。丸木君は運よく生還したからよかったが、死んでいった連中になんとお詫びしたらいいか。……
 下条校長は絶句して、しばらく泣いておられた。

可能性を伸ばす教育に向けて
 教育基本法の「改正」で求められているのは、「心豊かでたくましい日本人」という規定である。そして、この「たくましい日本人」になるために「競争したら勝者たれ、敗者になっても耐えるたくましさが必要だ」としている。二十一世紀をグローバルな競争社会と規定し、それをになう人材育成を焦点にしているようだが、これでは「新しい時代を切り拓く」どころか、戦後つちかってきた平等・平和・相互援助の教育基本法の理念が崩れてしまうではないか。
 いま心が痛むのは、日本の教育と子どもをめぐる危機的状況である。学校嫌いが増加し、いじめや学級崩壊がふえる一方である。不登校、登校拒否、ひきこもり、校内暴力もあとを絶たない。傷害から殺人まで、想像もできないような事件が頻発している。教育基本法を「改正」すれば、このような状況が改善され、子どもの可能性を伸ばす教育が可能になるのだろうか。否である。
 いま必要なのは、子どもの苦しさややりきれなさに耳をかたむけ、子どもたちのおかれている状況の本質を、きちんとつきとめることではないだろうか。


※全文は『子どもを可能性としてみる』に掲載(構成・編集部)
(まるき・まさおみ/和光学園園長・副理事長)