2004年07月01日

『機』2004年7月号:本企画の狙い

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本企画の狙い

 「満洲」という言葉は、今もある年齢以上の日本人にとって忘れ難い響きをもって使われている。19世紀末から20世紀中葉にかけての約半世紀、中国東北部を日本人は「満洲」と呼んでいた。しかも、その地域は日本の植民地であった。大東亜戦争後、満洲は日本から中国に返還されたことはいうまでもない。しかし、今、われわれ日本人にとっての〝満洲問題〟は解決しているのだろうか。2002年には日中国交正常化30周年を迎えた。近年、日中の文化交流、経済交流も年々盛んになってきたように思う。ただ、“満洲問題”については、積極的に交流をもってゆけない何かを感じる。その何かとは何だろうか。それを発見してゆくことが、本企画の狙いである。
 19世紀後半、西欧列強によるアジアへの侵略・支配の中で、日清戦争、日露戦争を経て、自らも大陸への足がかりを得た日本。中国東北部(満洲)の覇権をめぐる争奪戦。また、中国国内での権力闘争等々の中で、日本は満洲を支配した。満洲は経済的にも文化的にも、日本本土とは異なる歴史を歩んでいった。その中で、満洲を経営していった中核の一つが、調査に基づき、民衆による自治を理想とする後藤新平が初代総裁を務めた満鉄であった。しかし第一次大戦後の世界史的状況の変化とナショナリズムの高揚に伴い、満洲経営の主導権は、次第に関東軍に移り、日本は満洲国を建国し、その満洲国を基点に中国内部にさらに侵略していったのである。
 日本にとって「満洲」とは何を意味したのか、又、日本は「満洲」において何をなしたのか。21世紀の幕開けを迎えた今こそ、当時の国際情勢から戦後の東アジア史までを視野に入れ、世界史の中で「満洲」という場のもった意味を問い直さなければならないと思う。