2004年06月01日

『機』2004年6月号:第三のルイ F・マトゥロン+Y・ムーリエ=ブータン

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▼衝撃の遺稿出版の掉尾を飾る! 死後発見された哲学的ラブレター五百通!

二人のアルチュセール
 この種の資料、なまの自伝的資料は哲学者アルチュセールの思想の擁護者たちに危惧や警戒心をひきおこすかもしれない。プライベートな生活にこんなふうに土足で踏み込めば、〔思想を生活に還元する〕素朴な単純化志を促すのでは?作品行為それ自体の価値を貶めようとする試みに荷担することになるのでは? どれほど多くの私信が大作家の栄光にプラスとならず、マイナスになっていることか?どれほど多くの創造的芸術家が、華のない舞台裏をさらす手紙、日記、私的メモを燃やすことをよしとしたことか?
 1992年の『未来は長く続く』の刊行、続いて生前の著者「公認の」作品に劣らないだけの首尾一貫性はもつ死後出版作品の刊行によってアルチュセールは忘却のそとに出ることになったが、このアルチュセールについては読者の心配を取り除いておこう。哲学的立場において、書いたものにおいて、狂気において、妻殺しの「告白」において「typapart」(=特別な子)であった彼は、書簡においても「ティパパール」のままである。職務上の手紙であれ、政治にかかわる手紙であれ、友人宛ての手紙であれ、ラブレターであれ、書簡は、いまや読者がテキストを片手につくれるようになったユルム通りの哲学者のイメージを、歪めるものではない。
 逆である。書簡の最も内密な一部、恋人たちとの手紙というデリケート極まりない問題において別の特異性があらわになるのだ。ここでアルチュセールはみずからの作品の頂点に達する一方、彼自身が別の光のもとに姿を現す。後光に隈取られた伝説とも「呪われた運命」とも違う光である。「大知識人」、刊本に添えられた書評依頼状から浮かび上がる妥協なき或る種のマルクス =レーニン主義的教条主義の、その謎めいた理論家の背後にいたのは、『未来は長く続く』によって明かされたメランコリアの人であり、彼自身が生前に出版を禁じたいちだんと「振幅多き多様な」作品の作者であった。遺稿出版計画の実現に伴ない、いまやこの二人のアルチュセールが肩を並べている。

第三のアルチュセール
 力強さ、たえず高まっていく緊張、傍らにつねにみいだされる詩的叙情と、またこのうえなく覚醒した思考、どぎつさ、ときに絶望的なほどのアイロニー、聡明さと優しさ、情念のほとばしりをまえにしたときのまったくスタンダール的な歓喜、そして文体、どこからみてもこれらの書簡は、アルチュセールが書いたものに認められる簡潔さ、抑制といった質とはすでに絶対的な対照をなす。回顧のまなざしによって歪められることのないアルチュセールの人生の歴史を構成するために、理論にかかわる類縁関係を単に形式的にではなく測り取るためにも、書簡のもつ意義は明らかだ。同様に1960年代をめぐる比類ない証言としての価値も。さらには、書簡における叙述の調子、叙述内容が、ときを同じくして発表されていた壮年期のテキストとのあいだにつくりだす唖然とする落差のことも付言しておこう。問題は、或る理論的テキストをその15年後に発表された理論的テキストから眺め返すと、そこに矛盾があるということでもなければ、1992 年に公刊された1985年の自伝が、人を惑す戦略的なやり方で作品の読み直しをおこなっているということでもない。青年期におけるヘーゲルへの媚び(1947年)と『マルクスのために』(1961~65年)とのあいだ、『資本論を読む』(1965年)と『未来は長く続く』(1985年)ないし『哲学について』(1976~87)とのあいだには、様々な断絶または(認識論的あるいは実存的な)切断を含み込んだ時間の厚みがある。ところが、「アルチュセール主義」の固い核をなす哲学的テーゼのいくつか(たとえば始まりのテーゼ、「徴候的」読解のテーゼ)と書簡とのあいだには、数ヵ月、数日、それどころか数時間の開きしかな。つくったばかりの立言を作者が述べようとしていたその直後を勘定に入れなければ、60年代に発表されたアルチュセールの偉大なテキストは読むことができない。おそらくこの媒介なき間隔には、彼の思考の様々な変形と内的断裂を導くと共に、地下に流れる様々な連続性をも導く糸がある。
 むしろ別の驚きのほうをきわだたせておこう。もう一人のアルチュセールが浮かび上がってくるのである。長い時間をかけて磨き上げられた公的な聖人画に類する肖像とも、取り返しのつかない殺人をもとに呪われた運命を語る肖像、やはり丹念に手が加えられ、ときに当惑も生むその肖像とも一致しないアルチュセール。『未来は長く続く』の出版後、何度となく口にされた問い、二人のルイのどちらがペテン師なのか? 答えは明快だ、どちらもペテン師である、あるいは、どちらもペテン師ではない。いや、むしろ、『モンテスキュー』とクレールへの手紙を、『マルクスのために』の序文とフランカへの手紙を同じタイプライターで叩いていたアルチュセールのほうに、ほんもののアルチュセールが求められてしかるべきである。何世代にもわたって高等師範学校の学生たちを強烈に魅了し、そのうちの何人かを集団的な真の知的冒険へと引き込んでいったアルチュセールのほうに。こうして第三のアルチュセールが我々の眼のまえに浮かび上がってくる。知の殿堂にいる神‐教祖‐ペテン師でも、悪魔に魅入られた人、きちがいでもない。このアルチュセールは同時にそのいずれでもあるのだ。

つかむべき矛盾
 ほぼ自然のまま、生まれたての手垢のついていないルイ・アルチュセールの真実に迫ることを許す試金石、そのような位置づけをこの書簡集に与えるのは単純にすぎるであろう。我々が公表する手紙は、それ自体の価値をもつこと、公表が可能であることを鋭く意識されて最初から書かれた。1963年11月18日、フランカ・マドーニアに宛てて、彼は半ば冗談めかしてこう書いていなかっただろうか? 「僕にとって書くことが永遠の自覚的行為であることの証人として君を立てる、来るべき時代において、僕の遺作とフランカとの書簡が編纂されたとき、君にそのことを証言してもらうために」。さりげない通信文にさえ透けてみえるありたけの全力投球が、日常生活の些細なことがらにいたるまで、書簡に丹念な推敲の趣きや計算された乱雑をまとわせる。この種の態度は文学的な「ポーズ」につながっても不思議ではなかったろう。情熱の高まり、それに伴なって費やされるエネルギーが、これらの手紙からそのような危険を払拭する。なによりも恋の情熱であり、それに劣らず強く感じ取られる情熱、言語への、言葉への情熱、言葉を極限まで、それどころか言葉そのものの向こうにまで導こうとする情熱である。ふつうであれば切り離されているか互いに遮断されているはずの契機がそこにはすべて揃ってみいだされる、教育家なる語を毛嫌いしていたにもせよ、ともかく疲れを知らない教育家ぶり、高等師範学校文科書記のアイロニーのこもった愛想のよさ、友への熱い思い、政治参加した知識人の熱狂と用心深さ、一週間の精神病院入院後、おぼつかない書体で短い手紙すらうまく書けないときのどうしようもない気分の落ち込、世界再建の様々な立案を伴なって進む精神的な立ち直り、激しい恋情、毒の効いたユーモアによって紛らわされる苦悩、ときに訪れる優柔不断、中でもめざましい作家的資質、有名な諸テキストの「文体」にもすでに仄見えていた資質だが、しかしここでは政治や自己検閲による制御、敵や論争相手の姿を借りた他者の制御を受けていない。
 全体的なまとまりをもたないこうした全体を管理しようとして果たさない矛盾したピランデッロ(人間の外面と内面の矛盾相剋に力点を置くイタリアの劇作家)主体、一つ一つの声、書くものの一つ一つがその都度それぞれに真新しい身体と特異に結びつくとの意味で物質的である個人、言うまでもなく、伝記作家がつかみたいと思うのはそのような主体、個人である。また、アルチュセールの「偉大な時期」の「歴史的」な諸テキストをいま再び読みこなしてみようとの志ある読者がつかまなければならないのも、やはりそのような主体、個人である。

(Francois MATHERON)
(Yann Moulier BOUTANG)
※全文は『愛と文体』に収録(構成・編集部)