2004年03月01日

『機』2004年3月号:「水俣学」の誕生 原田正純・花田昌宣

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水俣学を総合的に捉える新しい学としての「水俣学」の誕生

 本書は、本書の編者の一人である原田正純を中心として形成された「水俣学プロジェクト」にもとづく最初の研究成果である。
 この「水俣学プロジェクト」は1999年より始動しているが、大きくわけて三つの活動から成り立っている。
 一つは、研究プロジェクトである。2000年より「和解後の水俣地域市民社会の再生に関する総合的研究」として研究チームが立ち上げられ、トヨタ財団からの研究助成をうけた。これには、熊本学園大学を中心に九人の研究者が参加した。多くのメンバーはそれぞれ自分の専門領域を持った研究者で、水俣研究ではレイト・カマーであった。水俣での合宿や研究会、さらに新潟水俣病や富山イタイイタイ病の現地視察を行ない、経験を共有する形で学の形成を果たしてきた。ついで、2002年には「負の遺産としての公害、水俣病事件と水俣地域市民社会の再生に関する総合的研究――水俣学の構築・発展に向けて」として新たに研究チームを再編し、13名で研究を進めている。このプロジェクトチームにおいては、あらたに障害学や老年社会学のメンバーが加わり、「学際的」な取り組みを行なっているところである。
 二つ目は水俣学講座の開設である。これは熊本学園大学社会福祉学部福祉環境学科の専門課程の授業として設置され、2年あまりの準備期間を経て、編者の一人である原田正純を担当責任者として2002年に開講した。この授業は単に水俣病事件を知識として知るというものでもなく、医学的な解説でもない。水俣病事件を医学、生物学、生態学、工学など自然科学の分野ばかりでなく、社会科学的な分野も含め、多面的、総合的に学ぼうとするものである。そして、そこから普遍的な環境、福祉、生活、教育、学習、行政などのあり方を探ろうとするものである。これには先の研究プロジェクトに参加している学内の教員による講義のほか、水俣病50年の歴史に深くかかわってきた人々を招聘するとともに、水俣病患者家族による講義も組み込まれている。第一期水俣学講義録は、本書と時を同じくして『水俣学講義』(原田正純編)として日本評論社より刊行される。合わせてお読みいただければ幸いである。なお、この福祉環境学科では一年次に必修授業として福祉環境に関するフィールドワークを実施しており、その一環として水俣での一泊二日の合宿を行なっている。その延長上に三年次の水俣学の授業が位置づけられている。さらに大学院修士課程から博士課程に至るまで、「環境福祉学」という専攻名で水俣学の研究に従事できるように配置されている。
 三つ目は、水俣病事件に関する資料の収集・整理・公開事業である。これは、熊本学園大学社会福祉研究所の調査研究プロジェクトの一環として進められている。そもそもは、水俣病弁護団の一員であった福田政雄弁護士から寄贈された資料、熊本商科大学(熊本学園大学の前身)教授であった土肥秀一教授資料の整理から始まったものであるが、研究プロジェクトの進展とともに収集した数多くの資料が付け加えられている。また、チッソ労働組合の資料調査も始められた。これらは、熊本学園大学内に設置された水俣病資料室に収蔵され、現在、目録化を鋭意進めているところである。また、熊本学園大学では、大学図書館、社会福祉研究所、産業経営研究所等に多くの著作や資料が分散して所蔵されており、その目録化も進めているところである。これらを通して、水俣学研究を目指す方々が広く活用できる資料センターの実現を考えている。

「水俣学」とは何か?
 いずれも、水俣学自身同様、まだ始まったばかりである。私たちが「水俣学」において何を構想し何を目指しているのかについて触れておくことにしよう。
 「世界ではじめて起きた公害事件」としての水俣病事件は、医学分野における一定の成果蓄積を別にすれば、学術的研究レベルでの研究成果は少ない。モノグラフィックな研究は少なからず散見されるが、総体としてみるならば、社会科学分野ではようやく始まったばかりといっても過言ではない。この事件は、単に人体被害、自然や生態系などの環境破壊だけではなく、漁業の崩壊、地域の産業・経済の荒廃、地域コミュニティの疲弊、伝統的文化や家族関係の崩壊などさまざまな影響をもたらした。私たちはこの巨大な被害を「負の遺産」と呼ぶが、今なお未解明な部分が数多くのこされている。
 これへのアプローチは、旧来の学問分野の個別研究では不十分なのではないか、というのが私たちの水俣学の出発点である。社会科学(社会学、経済学、法学、社会福祉学など)と自然科学(医学や生物学など)を融合した学際的な研究が必要である。当面はそれぞれの専門的研究分野から旅立つにしても、さまざまな研究分野の寄せ木細工としての水俣病事件研究ではなく、共同研究チームによるたえざる相互批判と討論、そして共同調査による経験の共有を通して、新たな学を構築しようというのである。
 そこで、学問研究方法としても、単に専門家によるアカデミズムに閉じこもった研究ではなく、地域の患者・被害者や関係者の協働による研究の発展が目指されるものである。また、その成果は研究のための研究におちいることなく、地域にさまざまな形で還元されることを目指す。こうした分野・対象・方法の融合の上に立つ学問分野として「水俣学」を構築する。

開かれた「水俣学」へ
 この水俣学の課題はつぎのようなものである。
 第一に水俣病事件の経験を総合的に検証することである。水俣病発生の公式確認から五十年近くを経た今、なお、未解明な部分は少なくないし、掘り起こすべき事実も数多く残されている。
 第二に、水俣の現状を、日本の各地の公害被害地域との比較の上で検証し、地域再生のあり方を提示することである。60年代後半から70年代にかけてさまざまな公害事件が起き、被害をめぐる社会的闘争が展開された。被害地域の多くで、公害被害後の地域再生が取り組まれている。それらを検証し、課題と教訓を明らかにしていくことは急務の課題である。
 第三に、世界各地の公害被害・環境破壊の現状を調査することである。その上にたって、現地に必要な情報そして水俣の経験を国内外に広く発信していくこと、すなわち、地域から世界に発信する「国際的研究」、しかも、水俣からしかできない発信をすることが重要だと考えている。世界各地、とくに開発途上国において、いわゆる公害問題は終っていない。開発途上国などにおいて水俣病の経験を活かした現地調査に協力することが肝要であろうし、また、国際的な環境教育に協力するとともに、人材育成にも貢献していきたい。たしかに、医学に関しては若干の発信できる研究があるが、その他の分野においては行政側の一方的な資料しかないのが現状ではないだろうか。
第四に研究の成果を教育や地域発展に大胆に活かす試みをなすこととして考えている。大学の社会的貢献とは、研究を通した若手研究者などの人材育成、研究成果の公表と活用、そしてそれらが地域に還元されてはじめて意味を持つ言葉になると確信している。
 私たちが提唱する水俣学はあくまでも開かれた学でなければならないと考えている。学問領域を越え、国境を越え、職業や立場を超えて、共同の営為によって進められるものであり、多くの人々の参加を呼びかけたい。
 水俣学プロジェクトは多くの人々に負っている。何よりも水俣病被害者の方々である。水俣現地の患者さん達に何かしらでも貢献できればというのが私たちの願いである。私たちの研究の本書に収められた研究論文のほとんどは毎年1月に開催される水俣病事件研究会で報告され、討論していただいた。この研究会に集う研究者や患者さん、現地のさまざまな関係者の御批判やコメントにお答えできるものとなっていることを願うものである。

(はらだ・まさずみ/熊本学園大学社会福祉学部教授)
(はなだ・まさのり/熊本学園大学社会福祉学部教授)