2004年02月01日

『機』2004年2月号:パリ都市空間への日本人の視線 和田博文

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文学・歴史・地理の横断的成果

日本人住所とスポットの地図
 「言語都市」のシリーズが藤原書店から刊行され始めたのは、1999年のことである。『言語都市・上海』が最初の一冊で、2002年に『言語都市・パリ』をまとめ、現在は『言語都市・ベルリン』のための調査を進めている。言葉で描かれた海外の都市像を通して、近代日本の異文化体験を問う一連の仕事は、まだしばらく続くことになるだろう。
 本書は、成立過程から言えば、『言語都市・パリ』と双子の関係になる。だが31人の日本人のパリ体験を論じた前著とは、目鼻立ちがかなり異なる。本書の大部をなす「2 日本人のパリ都市空間」では、パリの地図に、長期滞在者を中心に、63人の日本人の住所四六ヵ所を書き込んだ。居住した場所に引き付けて、パリ体験を考えてみたかったからである。
 また日本人がしばしば立ち寄り、作品に描いた93のスポットも、パリの地図に記載した。それらはシャンゼリゼ通りなどの観光地、ロダン美術館などの美術館、オペラ座などの劇場、エスカルゴなどのレストラン、クロズリー・デ・リラなどのカフェ、諏訪旅館などの日本人経営店、さらには娼館や、死体収容所・変死人掲示場にまで及んでいる。
 合計139ヵ所のスポットを、本書は八つのエリアに布置した。①エッフェル塔とパッシー、②凱旋門からルーヴルへ、③モンマルトル、④オペラ座界隈、⑤ カルチェ・ラタン、⑥リュクサンブール公園とサン・ジェルマン・デ・プレ、⑦モンパルナス、⑧日本館付近と、その他の地域。エリアをあらかじめ決めていたわけではない。139ヵ所のスポットが、結果としてエリアを分けたのである。

心象地図と日本人社会
 そのことは本書が単なる文学散歩の本ではなく、日本人にとってのパリ都市空間を問う本であることを語っている。本書のキーワードとなった心象地図は、地理学の分野での認知地図とほぼ同義だが、心象=イメージに、より軸足をおいた概念である。都市イメージは、情報に基づく身体移動によって形成される。だが情報にも身体移動にも、ナショナリティーや職業性や経済力という網が、あらかじめ被せられている。
 日本で最も定着しているパリ・イメージは、芸術の都だろう。モンパルナスを拠点とした美術家や、美術館を訪れた観光客が、そのイメージを揺るぎないものにした。しかし日本人の心象地図はより多層的である。実際に日本人の多くが居住したのは、高級住宅街のパッシー地区だった。また日本に経済的な支えがない長期滞在者は、貧困や病気や老いに直面することになる。
 本書の「1 パリの日本人社会と都市の記憶」は、パリの日本人社会やネットワークを明らかにしている。パリでの日仏文化交流の問題も取り上げた。画家や知識人にとってのパリや、帰国後の追憶に現れるパリも対象化している。ここで見えてくるパリ・イメージや日本人の姿は、「2 日本人のパリ都市空間」の地図の、八つのエリアやスポットと、有機的にリンクしているはずである。
 外務省外交資料館で調査中に、公文書から思いがけない人物のドラマが現れてきて、胸をつかれたことがあった。小松清が編集し、NRFの知識人が協力した、日仏文化交流誌『フランス・ジャポン』の発行所が、満鉄の欧州事務所と同一住所であると判明したときは驚いた。衝撃や驚きは、本書で開くことができたケースも、謎のまま残されたケースもある。その意味で合計139ヵ所のスポットは、近代日本や日本人の、もう一つのドラマにつながる通路にもなっている。
(わだ・ひろふみ/東洋大学教授)