2003年12月01日

『機』2003年12月号:グローバル化と戦争の中の民主主義 三浦信孝

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●真に民主的な社会はいかにして可能か

 本書は2002年10月、東京恵比寿の日仏会館で行われたシンポジウム「グローバル化時代のフランス政治思想」を基にして成っている。われわれは2001年末に上梓した『普遍性か差異か――共和主義の臨界、フランス』(藤原書店)で、革命二百周年にあたる1989年以後フランスで起こった主な思想的事件をとりあげ、グローバル化と欧州統合と移民問題、それに植民地主義の過去という三重苦、四重苦のなかにあるポスト冷戦期の共和国を解剖した。2年の間隔をおいて刊行する本書は、その姉妹編であり理論編である。前著が、公立学校におけるイスラム系移民二世のスカーフ問題であれ、ヴィシーとアルジェリアの記憶に結びつくパポン裁判であれ、共和国を審問に付す事件や論争を分析の手がかりにしたのに対し、本書は80年代以後のフランス政治思想の多様な展開をあとづけ、その見取り図をつくることを意図している。前著は9月11日の世界を震撼させた「同時多発テロ」事件のあと編集後記を書いたが、本書は2003年3月20日に始まった米英軍のイラク進攻と、有事法制からイラク特措法にいたる憂慮すべき国内政治の展開のなかで準備され、そのため刊行が予定より遅れた。

マルクスの亡霊 ?
 イデオロギーの終焉が言われて久しいが、シンポジウムにはフランスから2人、マルクスから出発した政治哲学者が参加してくれた。68年5月革命から生まれたトロツキスト政党LCRの中心メンバー、ダニエル・ベンサイドと、アルチュセールとの共著『資本論を読む』(筑摩書房)でデビューし、ウォーラーステインとの共著『人種・国民・階級』(大村書店)を経て、近年はラジカルな「市民権の哲学」を展開するエチエンヌ・バリバールである。フランスの政治思想というとローカルに響くかもしれない。しかし、ベンサイドのセミナーの一つは「ベンヤミン・シュミット・アーレント」だったし、バリバールは「人種主義、性差別、普遍主義」と題する講演でジュディス・バトラーらアメリカのフェミニズムとの対話を試みた。いずれも現実に参加しつつ原理的に思索する哲学者だが、思想のナショナルな囲い込みとは無縁の存在である。
 シンポジウムを準備した2002年は、「左の左」の立場から新自由主義的市場独裁主義批判の最前線に立っていたブルデューの訃報で幕をあけた。現実に参加してもっとも影響力のあった知識人を失い、反グローバリズム運動は喪に服した。ブルデューの死の衝撃がさめやらぬ2月、革命以来のジャコバン共和主義の再生に大きな役割を果たしたレジス・ドゥブレが再来日したが、思想を伝えるの物質性に注目し、文化と技術の関係を分析するそのメディオロジーも、ブルデューの批判的ソシオロジーの前にはやや精彩を欠いたものに映った。
 9月には今やフランスの講壇哲学を代表するアラン・ルノーが初来日した。1985年、リュック・フェリーとの共著『六八年の思想』(法政大学出版局)でフーコー、デリダらを「反人間主義」としてなで斬りにし、1999年に五巻本の『政治哲学の歴史』を編纂刊行して、政治哲学復興の中心となったリベラリズムの哲学者である。10月には上述のベンサイドとバリバールが、11月には共和主義の硬直化とナショナリズム的旋回を批判して多文化主義を唱える社会学者ミシェル・ヴィヴィオルカが相次いで来日し、フランスの政治思想について議論するには刺激の多い年だった。マルクス主義、共和主義、リベラリズム、多文化主義と、主な傾向の代表的論者が出揃ったからである。

ポストモダン後の現代思想
 翌年1月には、ここ十数年来、法や正義、歓待や赦しを論じて「倫理‐政治的転回」を遂げたデリダの来日が予告されていたが、実現しなかった。デリダはブルデューと同じ1930年、フランスの植民地アルジェリアのユダヤ人家庭に生まれた。高等師範学校で同期だった二人の友情は近年、ストラスブールの国際作家議会や滞在許可証をもたないサンパピエ支援の活動を通して再確認されていた。その代わりというのではないが、1983年にデリダらによって創設された国際哲学コレージュの現院長フランソワ・ヌーデルマンが3月に来日し、東大駒場の「共生の哲学」COEのシンポジウムに「世界化の時代における非-系譜学的共同体のための哲学」というペーパーを残していった。フランスの共同体の哲学(とくにバタイユ、ブランショ、ナンシー)は「他者と共に在る」ことの困難な可能性をさぐる存在論的思考であって、アメリカのコミュニタリアン(共同体論者)の議論とは趣きを異にする。
 さらに7月初めには、近年フランスの家族法の改正に取り組んだ法社会学者、イレーヌ・テリーが来日した。代表制民主主義における男女平等の「パリテ」をめぐる論争(普遍性か差異か)では、エリザベート・バダンテールらとともに生物学的性差を重視する差異主義のパリテ概念を批判したが、「同性愛者の結婚」と揶揄された民事連帯契約(PACS)法の制定に関わった専門家である。マルセル・モースの人類学的思考を取り入れフェミニズムの新しい理論を模索するテリーが、フランソワ・フュレがつくったレーモン・アロン研究所の一員であり、『エスプリ』誌の編集委員であることは、フランス政治思想の「場」の複雑さを物語る。

反グローバリズムは反米主義か ?
 国際社会運動の分野では、199年12月、シアトルのWTO閣僚会議を流産させた市民運動で一躍勇名をはせた仏農民同盟のジョゼ・ボヴェが、2002年 10月末に来日し、相前後してATTACの市民運動を支える経済学者や政治学者が来日して、限られたサークルではあれ、「もう一つの世界は可能だ」を標語とする反グローバリズム運動に対する認識が深まった。為替市場を飛び交う投機資金に対するトービン税の創設を主張するATTACが、『ル・モンド・ディプロマティック』の社説から生まれたことはよく知られている。同紙は、生前ブルデューがよく寄稿し、パレスチナ問題ではエドワード・サイードの、第三世界についてはウォーラーステインの論考が載る新聞体裁の月刊紙で、反資本主義的、反帝国主義的、第三世界主義的傾向の左翼ジャーナリズムが健在であることは、フランスの政治思想を考えるうえで無視できない。もちろん、左派リベラルの『ル・モンド』よりさらに左の同紙の論調がフランスで支配的なわけではなく、大統領や外相が同紙を外交戦略の参考にしているわけではない。また、アメリカのユニラテラリズム(単独行動主義)を批判して多極的世界の構築を主張するフランスの外交哲学に、国益の反映という側面があることも否定しない。しかし、国連安保理でアメリカのイラク侵攻に最後まで反対したフランス外交を、単なる反米主義や石油をめぐる利権争いで説明するのは、視野狭窄のそしりを免れないだろう。「正しい者に力ありとすることができなかったので、人々は力ある者が正しいとすることにした」というパスカルの箴言を、浩瀚なナポレオン伝や詩人論をものする外相が演説で引用するような政治文化の国なのである。
 「9・11」のちょうど一周年に出た『帝国以後』(藤原書店)で、エマニュエル・トッドは「世界はもはやアメリカを必要としていないのに、アメリカは世界を必要とし世界に依存している」と喝破した。アメリカの単独行動主義や対テロ戦争は強さの現われではなく弱さの現われであり、そこには普遍主義的文明の衰退の徴候をこそ読み取るべきだ。アメリカが一方的に「悪の枢軸」を名指してこれを一つずつ叩き、メディアを動員して劇場型の武力誇示に走るのは、みずからの軍事的有用性を世界に示すために他ならない。「古いヨーロッパ」と揶揄されながらも、仏・独・露はほぼトッドが描く地政学的変化にそった形でアメリカへの従属を拒否する選択を行った。ユーラシア大陸の連携が進むなか、日本はなおもアメリカに追随して極東の英国になるのか、それとも従属を断ち切ってアジアのドイツになるのか、トッドは日本にも自立への選択を促している。
 トッドは歴史人口学者だが、本書では社会学者ブルデューや文学者トドロフに一章を割くのと同様、トッドにも一章を割く。本書は副題に「反グローバリズムの政治哲学」をうたっているが、哲学はもとより社会学から文学まで多様なアプローチによる政治思想を対象とし、しかも市民運動から論壇での議論を含む広義のフランス政治思想を、矛盾にみちた「場」として描き、その主な潮流を浮彫りにしようとするものである。英米系の政治哲学のみ紹介される日本に、80年代のポストモダンとは様変わりしたフランス現代思想を紹介できればうれしい。合言葉は「来るべき民主主義」である。

(みうら・のぶたか/中央大学教授)