2003年11月01日

『機』2003年11月号:人口の歴史と家族の歴史 速水融

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人口と家族の歴史から見える全く新しい歴史イメージ

歴史人口学の奥深さ
 人口と家族は、社会を構成する二本の支柱だ、とかねがね思っている。人口といってももちろん単に人の数という意味ではなく、男女の比率、年齢別構造、配偶率といった静態統計に表わすことのできる「状態」と、出生、死亡、結婚、移動といった人口を動かす動態統計に集約される「変動」を含んでいる。一口に人口といっても、間口も広く、奥行きも深い。さらに、筆者は、人口を研究する学問を示すデモグラフィ(demography)という言葉の原意、すなわちギリシャ語の demos(民衆の)-graphy(状態の叙述)に帰って、人口学は民衆誌であるべきだと考える。そうなると、「人口の歴史」は、裾野の大きく広がった研究分野だ、ということになる。
 実際、英国のある歴史人口学者は、著書の序章で、理想的な歴史人口学者の持つべき条件として、人口学に関する造詣のみならず、隣接領域の経済学、社会学、宗教、考古学、人類学、気象学、疫病学、産婦人科学に通暁していること、統計学やコンピュータ処理に熟達し、古文書学、都市化や農法を知り、数か国語をこなし云々と、気の遠くなるような事項を列挙している。しかし、彼はそれに続いて、もちろんこのような理想的な学者は実在しない、として読者を安心させる。けれども、彼の言葉は、人口の歴史を研究する者が、いかに広範な知識と、分析能力を備えなければならないか、を示している。
 ところで、人口学は、諸社会科学のなかでも、最も「直線的」な学問分野の一つである。統計学が人口統計から始まったことに関連するが、一つの理論体系、統計学的方法を持ち、共通する概念・用語を持っているので、原理を十分習得すれば、その応用によって成果を広げることが出来る。もっとも、その為には、信頼度の高い統計の利用可能性が前提となるが。
 これに対し、家族の歴史は、かなり複雑である。人口学はヒトの持つ基本的な属性(男女別と年齢別)に、後天的な属性(国籍、階級、身分、婚姻、教育、富裕度、職業等)を加え、カテゴリィを相対的に容易に設けることができる。ヒトは、必ず「産まれ」、必ず「死ぬ」。ところが、家族となると、属性は千差万別、カテゴリィも実に多様である。多様な構造があり、継承があり、形態がある。筆者自身、歴史人口学に関する作業をしている間は、比較的短期間に結果を出すことができるが、家族史に移ると、何がその範囲なのかもわからず、方法も、拠るべき専攻分野――多分家族社会学だろうが――は、人口学と違って多元的で、簡単に学習できるものではない。筆者が、知らず知らず「家族史」の領域で論文を書くことになると、譬えはよくないが、何か泥沼に脚を踏み入れたような気になる。家族は「立体的」な存在で、それだけに取扱いが厄介なのである。

歴史人口学・家族史の基礎的論文を集成
 本書『歴史人口学と家族史』は、いままで、当然日本語文献として多くの方々に読まれて然るべきであった歴史人口学と家族史に関する基礎的論文を訳出・集成したものである。これらを読まれて、歴史人口学と家族史の間にある共通点と相違点の双方を読みとっていただければ幸甚である。さらに付け加えれば、ヨーロッパで成立した歴史人口学の基礎史料「教区簿冊」、また、その整理法である「家族復元」は、家族史研究というより専ら歴史人口学の史料・方法として利用・確立されていることが分る。家族史研究には、どうしても、居住する家族の状態が記録されている「戸籍簿型」の史料が必要である。最後の三章には、「教区簿冊」や「家族復元」は出てこない。
 これに対して、北東アジアの歴史人口学の主な史料となった日本の「宗門改帳」、「人別改帳」、中国遼寧省の「戸口冊」は、同時に家族史の好材料でもある。つまりわれわれは、歴史人口学と家族史を同時に研究できる、世界でも稀な資源豊富な国に生まれたのであり、この利点を大いに生かさなければならない。

(はやみ・あきら/麗澤大学教授)