2003年10月01日

『機』2003年10月号: 速度の囚人たち I・イリイチ 福居和美訳

前号   次号


スピードの歴史性
 発言を準備するよう我々をけしかけてくれたことにたいし、ミヒール・シュヴァルツとこのシンポジウムの企画者たちに、まずお礼を言いたい。このプログラムのおかげで、ブレーメンの私の友人サークルは、いままで等閑視されてきた主題、スピードの歴史性を検討する機会をもてた。問題の核心へとあなた方をまっすぐに導くために、私の感謝の念を古い英語に託して表現させてもらいたい――ミヒール、「汝らと汝らの目的に幸いあれかし!(God speed thee and thy close!)」。ミルトンのこの言葉はじつにこの場にふさわしいと言っていい。当時、speedという動詞は「速く行く」ではなくて「栄えさせる」を意味した。
 我々はトリオでここにやってきた。あなた方が我々のあいだに引き起こした意見交換の、一つの意味を伝えるために。音楽学者マティアス・リーガー、淡水生物学者セバスティアン・トラップもまた私同様、あなた方から恩恵を受けた。我々は現代特有の現象としての速度に――それぞれがそれぞれの専門分野で――注目することから始めた。それに注目したのは、けっして我々歴史家、音楽学者、生物学者の三人だけではない。ちょうど音楽演奏、鷹狩り、魚取りにおいて速度がなんの役も果たさないように、十七世紀までは、交易、医学、建築は速度とは無関係に盛んであった。この催しのための準備をしていく中で、我々三人の誰もが、人々が過去の時代に投影しがちな歪んだ見方に気付いていった。人々は、アリストテレス、アルキメデス、アルベルトゥス・マグヌスなどにとっても速度が意味をもったと、先入見で過去を振り返るのである。

速度の時代に囚われた人々
 シンポジウムのプログラムおよびここまで聞いてきた講演からすると、明らかに私は、速度の時代に囚われた人々に向かって喋っていることになる。そういう人々に常識はこう語りかける――「時‐空」、もっと一般的には「時間と相関するプロセス」といった観念は、すべての文化の不可欠な一部をなす、と。そこで我々三人に課された任務は、あなた方の常識を揺さぶることである。速度の観念が疑いなく歴史的なものであることを我々は知っている。中世晩期から、速度への関心が現れ、一歩一歩着実に機械と原動機の時代を用意していった。一九九六年、いまや歴史的な〈スピード時代〉は我々の背後に控えるにいたった。その時代のあいだ、ホモ・テクノロギクス〔技術的人間〕は速度の経験に強迫されてきた。自宅、工場、学校、仕事、労働、休暇、どこででも、緊密に組まれたスケジュールのうえでの時間不足〔時間の希少性〕が、いつまでも解消されることなく時計を介して続いていった。忙しさが時代の空気をつくりあげていった。

〈スピード時代〉の終りに立つ
 今日でもまだあなたが急がされているなら、あなたのもつ特権のしるしである。時間不足の文化から新たな時代、メガヘルツと失業の時代へと移ることをまだ強いられていないことのしるし。RPM〔販売価格の維持〕と労働力は、いまではMHzのせいで影が薄くなりつつある。被雇用者からコンピュータ、教室からインターネット、店員からクレジットカードへと切り替わっていく生産における変容は、この新しい文化、メガヘルツの時代に入り込む態勢を我々にとらせるまでにいたっていない。メガヘルツの時代とは、光の速度に基礎を置く時代である。定数c〔光が真空中を進む速度、いわゆる光速度のこと〕の時代でもあるこの新時代では、リアルタイムで進むプロセスが、まるで地球規模の偏在性をもつかの擬態を呈し、確かに我々を電子的にここからあそこへと運びはするが、そこにはもはや、近代人のスピード中毒を昂進させてきた間隔の経験はない。
 ここで私の確信を言いたい。洞察または先入見と呼んでもらってもかまわない。外部の人間の手になる豊かでありうるかもしれぬ仮説と受け取ってもらってもいい。すなわち、〈スピード時代〉は始まりをもった、そしてその時代の歴史を我々が語っているとすれば、その時代の終わりを我々がいま目撃しているからである。この確信によってみずからを〈スピード時代〉の外部に立つ人間となした我々はいま、速度を設計の中心的な次元の中に繰り込むための方法を探る、専門家集団に向かって話している。この見るからにきらびやかな劇場で私が眼にするのは、人間生活に見合った速度をめぐる意見のやりとりであり、減速化を強く求める自称「ゆっくり派」(のろいが、いい仕事をする人々)から突き付けられた道徳的要請について設計技術者(デザイナー)がなす自己分析であり、速度が高い、低い、遅い、速い、持続的、破壊的と議論する企画技術者(プランナー)たちである。私たちが呼ばれたのはこういう人々に話をするためである。彼らは専門家であり、つぎのような不可疑の前提にみずから囚われている――速度はあらゆるものを包摂するが、その速度に、適切な制御が必要だ。(中略)

巡礼者として生きる
 我々の一人がいみじくも言ったように、速度の経験は、最初の汽車に乗った人々に強いショックを与えた。世界を素早く移動していく汽車が新しい言葉を要求していることを彼らは感じ取り、車窓の向こうに見える場所、彼らがその一つにさえ実際に足を踏み入れることのないまま、ただ流れるように通り過ぎていくだけのその場所を言うのに、「風景 landscape」という語を採用した。汽車の時刻表は社会に分という時間単位をもたらし、蒸気機関のシュシュポポの音に合わせて乗客の時間が刻まれるようになったと言われる。韻律的な拍子をともなうリズムに、速度が取って代わった。あなた方が現在温めている愛すべき計画は、この移行変化を緩やかなものにしようと提案している。しかし私の友人二人も私も、見過ごされてきた経験の領域、速度のない領域を探検しようとしている。我々は、高速度の監獄から、もっと拘束が穏やかであるような世界へ逃避しようとしているのではない。速度の幻影を完全に追い払うことはできるか、できるなら、どこで、と問うているのである。 ベートホーフェンのメトロノーム体験はいまでもその真実を失っていない。しかもそれは我々三人にとってだけではない。我々が歌を歌ったり生演奏を聞いたりするとき、速度は消え去る。速度に捉えられることもなければ、速度を制御しなくてはとの差し迫った気分になることもない。リズムがすべてを決める。六歩格の詩〔一行で六回のリズムを刻む詩〕を読むとき、私が入り込むのはリズムの中だ。なぜなら、熱心なスコラ学者によって古代の詩にテンポが付与されたのは高々一六三〇年以降のことだと、私はちゃんと心得ている。速度は生の体験とはぶつかるのである。
 我々のような人々にとって、速度とは、必要もないのに自然のものとされた歴史の澱の、生きた実例である。速度は、近代社会の土台をなす様々な思い込みのさらなる下に潜む、身体なき衝動に由来する――犯罪、教育、健康の追求、保険などを、適切な制度のもとで処理することが必要だとする思い込みである。今日の万神殿には、現代世界を支配するそういった神々が住み込んでいる。だが、速度がみいだされる場所は、その神々の下方にある闇の領域だ。神々を生んだ支配者タイタン族のいる場所なりと、ギリシア人がみなした領域である。
 速度というものが存続するかぎり、私の友人たちも私もニヒリストである。ガリレオが速度の概念を提出し、斜面を使って引力の研究をしたとき、またケプラーがその概念を応用して、楕円軌道をまわる天体の運動を計算したとき、彼らは自然学を物理学に変えた。彼らが同時代人を驚かせたように、それから三百年後、量子物理学者たちもまた同時代人を驚かせた。流れている時間性から一瞬の時間を離床させること、我々三人が友人たちとともに人生を楽しもうとしているその場所、「いま・ここ」から、抽象的な空間を切り離すこと、量子物理学者たちがなさねばならなかったのはこれである。
 私は巡礼者のように生きようとしてきた。歩を一歩一歩進めながら、自分の時間の中に入り込み、自分のもつ地平線の内部で生きること。その地平線に歩いて達したいと私は願っている。死ぬために踏み出す驚くべき歩によって達したい、と。

(福井和美訳 構成=編集部・全文は『環』15号に掲載)