2003年06月01日

『機』2003年6月号:患者学のすすめ 上田敏+鶴見和子

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患者が人間らしく主体的に生きるために

ひとりひとりに応じた目標を
上田 私たちは、最初のゴールとして、鶴見さんは車椅子でもいいから、着物を着て、講演をなさる、できれば外国まで行って英語で講演なさるという、そういうゴールでいきましょうとお話をしましたけれども、これは鶴見さんだからそういうことを言ったのであって、ほかの人には、またその人に応じた生き方の目標というものをいっしょに考えましょうということです。
 そのためにはこちらは専門家として、現実的にこれは可能ですということをはっきりと呈示します。リハビリテーションをすれば種々の活動の能力をどこまで高めることができるかという見通しをはっきりさせた上で、ご本人のいままでの生き方とか、いちばん得意とされることとか、いちばん興味をもっておられることとか、もちろんいろいろと話し合って、よく知った上で、三つでも四つでも、多ければ多いほどいいんですけれども、あなたのこれからの人生にはこういう可能性がありますから、その中のどれを選びますか、と複数の選択肢を出して問いかける。

さまざまな可能性が開ける
鶴見 先生のやり方であれだけお稽古をしていただいてわかったことは、はじめはできないと思っていたことができるようになる。それは当然のことだと思うけれど、それだけじゃなくて、さまざまな付随的な可能性が開けていくということがあるのよ。それは驚くほどだったんです。
 つまり歩くというのは、歩くために歩くんじゃないということがわかったの。そうじゃなくて、歩くお稽古をすることによって、私全体が変わってきたということなの。だから可能性を引き出そうとすれば、いままで思いもかけなかった可能性が生まれるということなの。歌は最初からわきだしてきたんだけれど、それがいままでずっと続いているということは、これは思いもかけないことなんです。これは毎日歩くお稽古をすることによって、私自身がいままで考えないような感受性、つまり自然に対する、人間に対する、そのほかの動物に対する、植物に対する感受性がまったく違う形で開けてきたこと。これははじめから全然思いもしませんでした。だから自分の内発的発展論についても、いままで考えていた筋道と違うところで開いてきたんです。

リハビリテーションと内発的発展
上田 内発的発展論の勉強を少しさせていただいて、私はリハビリテーション医学で目標指向的アプローチと非常に似ているところが多々あるなということを感じました。
 内発的ということと響きあうのではないかと思うのは、前にもお話ししましたけれど、自己決定権を尊重するということが、発展させていく自発性を非常に尊重することと響き合うものがある。内発性と自発性というのは、やはり内発的発展論でも絡みあっているのではないかと思っています。
 次に、違いになってくるんですが、対象が個人であるか、あるいは地域社会や国家であるかということによって、当然の違いかもしれないけれども、リハビリテーションの場合には、患者さんが一人で、自発的になんの助けも得ずに内発的に発展していくのではなくて、専門的な援助者がいるということです。いままではその専門的援助者、つまり医療チーム、リハビリテーションのチームの人たちが、いわば帝国主義的に、内発的でない発展を押しつけて、こっちへ行け、あっちへ行けというふうに押しつけていった。それは大きなまちがいだったんですが。そうではなくて、本当に内発的に患者さんが発展していけるような専門的援助をする。そのための援助の仕方はどうあるべきか、ということを目標指向的リハビリテーションのプログラムとして、専門家がそういうプログラムを立てなければいけないといっているんです。
 それを今度は内発的発展論にあてはめて考えた場合にはどうなるのか。支配でない援助、本当に自立性や自発性を尊重する援助というものが行われるならば、われわれがリハビリテーションの個人のレベルで行おうとしているものに非常に近い。

(つるみ・かずこ/社会学者)
(うえだ・さとし/リハビリテーション医学)

※全文は『患者学のすすめ』に収録(構成・編集部)。