2003年06月01日

『機』2003年6月号:<対談>「清(ちゅ)ら」の思想 岡部伊都子+海勢頭豊

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琉球の歴史・思想の根源に迫る!

ギターを通して沖縄の美を遺したい
――海勢頭さんがこれまでどういうふうに生きてこられたのか、少しお話下さい。本土復帰する以前から相当苦労されたのでは?

海勢頭 いや、苦労はしてないでしょうね。貧しくはあっても、苦労したという記憶はあまりなくて、人生って意外とおもしろいなと、非常に楽天的な性格をもっているので、だからちょっとした困難な問題にぶつかっても、何か解決の方法があるだろうということで、これまでそうやって乗り切ってきたんです。
 ただ一つ、島の海を見て育ち、島の祭りごとを見ながら育って、どうも大和(やまと)とは違うと感じるようになっていった。なんで沖縄はそういう古風な祭りを延々と伝統として受け継いでやっているのか、これが不思議だったことと、島に戦争が起こって、いまはその戦後なんだと。毎日のように女たちが泣いていて、そのたんびに葬式をしていた、あの小さい時の島の風景を忘れたことはない。戦後、沖縄の復興と同時に破壊されていく環境を、どうもこれはヤバイというふうに感じながら育った少年期には、自分の遊んでいた島の海の生き物たちがどんどん少なくなっていった。だからそういうことに対してとても胸を痛めながら成長していったんですけれど、ただ痛めながら成長していくだけじゃ何の解決にもならないから、できたら沖縄の美、琉球の美、これは環境だけじゃなくて、精神的な美もふくめて何か表現して遺さんといけないだろうなという思いがあって、十八のころからギターを弾くようになって、音楽を手がけるようになったわけです。当初は、クラシックばかりやっていましたが、それじゃなんの意味にもならないので、自分で音楽を作るようにしようということになって、だから独学で一応、詩も、これは直観的にやるようになって、今日まで来てるわけです。

――沖縄といえばすぐに三線と思うわけですが、三線ではなく、ギターでやられるところに意外な感じを受けます。

海勢頭 三線はだれでもやるし、三線だけで沖縄を表現すると、いわゆる三線の音色しか出せないんで、それをギターでやると小さなオーケストラと言われるぐらいに世界に広がるいろんな表現方法がとれるんで、それでやってるんです。三線をやろうと思えばいつでもできる。だれでもできるものは、べつに自分がやる必要はないという考えで、ギターを勉強しはじめたんです。
 ギターを通して、宮廷音楽だとか、ピアノ以前のヨーロッパの古代史だとか、そういうものにふれることができる。そうすると権力と音楽との関係が見えるようになるし、それから例えばモーツァルトやベートーヴェンなど、これまでの世界の音楽の歴史が見えるようになるし、そして日本の歴史が見えるようになってきた。
 そのなかでのいわゆる芸能というものの位置も見えるようになってきた。だから自分が商品としての音楽を世に出す必要はまったくないという、そのへんをちゃんとさめた目で見て、結局、必要なものだけを作ろうということで、数はそんなに多くないけれど、「喜瀬武原」(きせんばる)とか「月桃」(げっとう)とかを作ってきたということです。

――海勢頭さんの音楽には商品性が感じられない。

海勢頭 岡部さんとお会いして、岡部さんの言葉で一番びっくりしたのは、「自分を売ったらあかん」という、あの詩で。ぼくはそれを守っててよかったと思いながらも、でもみんなが要求したら、歌は聞かせないといけないし、遠慮しいしい、これまでやってきたんです。必要だと思うことに対しては、全身全霊を打ち込んで、生活のことも考えないでやってきたから……。それだけでいままで生き延びてこられたという、幸せだなと自分では思っています。

「清(ちゅ)ら」としての美
岡部 それはどんなにお人柄、お歌、その志、怒り。やっぱり怒りというものは、本当の真実を求めるもの。このことはこうしなければだめだという真実を求めるのでなければ怒りは歌えない。それがはっきりと歌える。みんながドキンとするほど、みんながええかげんにしているところをグッと、お前は何だという問いかけがある。それが私は一番好きですね。

――怒りでもあるのですが、怒りの中に、さきほど「琉球の美」と言われましたが、何か美しさを感じます。

岡部 そうよ、愛があるんだよ。その怒りは愛からの怒りでなければだめ。愛があるから、腹立つことは腹立つわけや。だから海勢頭さんの人柄にみな惹かれる。その情愛の深さ、情愛が深いからこそ、あかんことはあかんと歌う。言わざるをえない。言いたくないと思うても、言わざるをえない。そこが他の、どういうのか、他人(ひと)の歌を作った歌を歌う歌い手さんと全然違うところですよ。
 それでその「愛」ちゃんというのが、お嬢ちゃん(笑)。

海勢頭 愛というか、琉球の美が消えていくことに対する哀惜だな。これを胸に秘めて見てきたものだから。そういうのがバックにあって、自分はやっぱり清らでないといけない。ちょっとでも心に濁りがあると、だんだんそれが自分の中で嫌なものは排斥するという、その代わりいろんな悪に対しても包みこむやさしさを自分で持たんといけないなというふうに、一応努力はしてきたんですけどね。だけど岡部さんの本、どこを開いても、鋭い言葉で、そういうの、みんな切るでしょう。私も切られながら反省しているんですよ。

岡部 私はやさしく言うてますねん。

海勢頭 いやいや、やさしい言葉だけど、まるでカミソリのようにぼくは鋭い切れ味だと思ってます。

岡部 ほんまのことをいうてるだけ……。

海勢頭 そうそう。だからぼくは岡部さんの本は聖書のようなものだと思いながら、今日まで来たんですけど……。とにかく清らで。
 「チュラ」という言葉があります。いま沖縄で流行っていますが、美しいを「美らさん」と読ませている。だけどそれこそちょっとした妥協で、また沖縄を汚してしまうもとなんです。言葉をもっと大事にしてほしいなと思いますけどね。「チュラ」は「清ら」であって、限りなく無色、ゼロに近づいていく流れ、その心の美しさです。
 美はいつでも解釈の仕方によって、美化されて、すぐ清らとは反対の方へもっていかれる。だから今の政治家はみんな言葉を操って、国民もみんなもまたそれを適当に納得して、妥協して仕方がないかというふうに汚れたまま今日まで来てるわけだけど、そうではなくて、精神文化というのは清らでないと、宗教のようなものまでが意味を失なってしまう。聖人たちの言ったことも、宗教界に組織ができてから美化され、みなおかしくなった。
 ぼくにも新曲作りませんかとか、いろいろ言ってきますが、首振ってばっかり。作る必要もないし……。それよりいままで作ってきたものを十分伝えるので努力した方がいい。沖縄の歌と本土のいわゆる演歌や他の歌との違いも、「清ら」です。古典にしても何にしても。つまりビブラートとか虚飾がない。その日の調子のまますなおに歌うのか一番沖縄らしい。だから沖縄を主題にした演歌は沖縄ではなかなか流行らない。(抜粋)


(おかべ・いつこ/随筆家)
(うみせど・ゆたか/音楽家)