2003年04月01日

『機』2003年4月号:予防原則とは 雑誌「環境ホルモン」編集委員

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科学技術のもつ未知の脅威に対してわれわれは何をなすべきか

科学技術の未知の脅威に対して
 1997年7月に開かれたウィングスプレッド会議は、化学物質にもたらす人の生命・健康への脅威や環境汚染を懸念する世界の科学者たちに、環境ホルモン仮説を広める恰好の場となった。環境ホルモン仮説の歴史的意義は単に、環境ホルモンと呼ばれる物質に含まれる潜在的脅威に対して、警鐘を打ち鳴らしただけにとどまらない。現代技術のもたらす生命・健康・環境上の未知の脅威に対し、科学精神を武器として立ち向かう優れた行動モデルを示したこともまた、環境ホルモン仮説の提唱者たちの歴史的貢献として、高く評価するに値する。
 科学の最も重要な社会的役割のひとつは、未知の脅威の存在についての状況証拠をつかむセンサーとしての役割である。科学のセンサーとしての感度は高くはない。それは確実性の代償である。科学的検証を試みるに値する仮説として、科学界で認めてもらうには、それなりの状況証拠を揃えねばならない。シーア・コルボーンらは科学のセンサーとしての能力を最大限に活用して、環境ホルモン仮説を立ち上げた。それは提唱されてから十年あまり経過した現在もなお、開発途上段階にとどまっている。だがこの分野では取扱対象の複雑さゆえ、別解釈の余地を残さない確実な証拠を、短期間で積み上げていくことは無理がある。再現性と感度の高いエンドポイントをひとつ発見することさえ至難の技である。科学上の新機軸を確立することは一朝一夕にはいかない。粘り強い取組が求められるゆえんである。

「わからないけれども、用心すべきだ」
 1991年7月の第一回ウィングスプレッド会議に集まった科学者たちが、1998年1月の第七回会議のテーマとして、予防原則を選んだのは、自然の成り行きだったことがわかる。この会議の成果は、Raffensperger,C.,and J.Tickner,eds.,Protecting Public Health and the Environment:Implementing the Precautionary Principle,Washington D.C.:Island Press,1999.として刊行され、予防原則論に関する基本文献のひとつとなっている。
 ここで予防原則(Precautionary Principle)とは、人の生命・健康や自然環境に対して大きな悪影響を及ぼす可能性が懸念される物質や活動について、たとえ科学的な因果関係の解明が不十分であっても、防護対策を講ずるべきだとする思想を指す。事前警戒原則と訳せば、その指し示す内容がより分かりやすいだろう。その起源は一九世紀に遡ることができるが、1960年代後半から70年代初頭にかけて思想的原型が確立し、80年代後半から国際政治や国際法の世界で市民権を獲得したものである。1992年の地球サミットの合意文書である「アジェンダ」にも、それは盛り込まれている。それはもちろん公共政策決定の際に考慮すべき原則であって、科学研究の原則ではない。そして公共政策決定の原則は、市民社会の構成員によって民主的な手続きによって定められるべきであり、科学者に特別の発言権はない。にもかかわらず「わからないけれども、用心すべきだ」という思想は、民主政治の世界における予防原則の思想と、きわめて親和性が高いといえる。そうした親和性の背景には、現代技術のもたらす生命・健康・環境上の脅威はきわめて重大となりうるという、共通の基本了解がある。

予防原則概念の射程の広さ
 本誌『環境ホルモン』が今回、予防原則特集を企画したのは、この思想が環境ホルモン問題をはじめ、現代技術のもたらす生命・健康・環境上の脅威について、その緩和を目指す人々の共有する基本哲学に他ならないからであり、すべての市民がその概要を理解するに値するものだからである。なお特集では環境ホルモン問題だけでなく、多様な話題を論じているが、その理由は予防原則思想が大きな時間的・空間的な広がりのなかで展開されてきたからであり、そのエッセンスを存分に吸収するためには、幅広いアプローチをとるのが適切と考えられるからである。なお言うまでもなく、特集以外の論文・エッセー・連載も、その多くは予防原則思想に根ざしている。本誌第一巻、第二巻収録の論文・エッセー・連載・座談会についても、同じことが言える。それは本誌編集の基本哲学であり、今後もこの思想にもとづいて環境ホルモンをはじめとする化学物質の脅威や、それに関連する諸問題を取り上げていきたい。

(「巻頭言」より/構成・編集部)