2003年03月01日

『機』2003年3月号:スコットランド・ルネッサンス 北政巳

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大英帝国「世界制覇」のエネルギー源としてのスコットランド

「近代経済倫理」の発祥地
 今日の日本の生活文化は、大半は幕末・明治以降の欧米文化の影響が大である。 著者の主張は、思想・社会制度をはじめ学問・技術(鉄道・造船・海運)において最大の影響を与えたのは、英国の北方に位置するスコットランドであった。イギリス名宰相チャーチルは「世界史において小民族で世界的貢献をしたのは、古代のギリシアと近代のスコットランドである」との言葉を残している。わが国では古典派経済学のアダム・スミスをはじめとするスコットランド歴史学派の研究は、世界最高の水準にある。しかし通説では、スコットランド啓蒙主義の時代は、「スコットランド・ルネッサンス」と呼ばれる時代としても知られるが、極めて短期間で消滅したとされる。 そこで著者は、まず一五世紀のイタリア・ルネッサンスがどのようにしてヨーロッパの僻地スコットランドに伝来したか、いかにスコットランドがその異文化の流入に対応したか、南の隣国イングランドとの抗争の歴史の中でいかにして独自性を保持してきたか、ジョン・ノックスの宗教改革がイングランドとどのように異なり、さらにイギリス全体の清教徒・名誉革命にどのように対応し、その結果スコットランド固有の宗教・思想土壌が形成され、スコットランド啓蒙思想の背景となった「近代経済倫理」がいかに発祥したかを究明した。それが近代科学の発展につながる。

社会進化の旗手としてのエンジニア
 一七〇七年の合併後、長年、スコットランドは経済的劣位に置かれ、スミスが『国冨論』(一七七六年)を執筆した頃には未だ二世紀は遅れているとされたが、スコットランド諸工業、特に製鉄業の成功と関連する鉄道・機械・造船工業が発展し、イギリスが世界市場を支配して「世界の工場」と称えられた時代に、グラスゴウは「機械の都」と賞賛され世界的な近代工業都市となった。そこにドイツ・ロシアをはじめ日本も含めて多くの留学生が近代技術を習得に集まったのである。 この発展エネルギーは、伝統的に専門職として認められていた「牧師・医師・弁護士」に対して「地上で物を作るエンジニアも専門職であり」、「エンジニアとは、社会進化の旗手であり、生涯、研究・創作していく専門職である」と信奉するヴィクトリア期スコットランド人技師によって生み出された。さらに彼らはヨーロッパ・アメリカさらにアジア・極東へと海を渡った。人口比ではイングランドの五分の一でありながら、同数以上のスコットランド人が海を渡った。また「エンジニアの思想」の最も優秀な継承者がアメリカと日本であった。しかも彼らは工学技術、銀行・金融のノウハウの他、スコットランド人の作り上げた鉄道・海運・電信による最新情報を持ち、近代スコットランド商人ネットワークを利用して渡航した。

日本への影響
 『歴史の研究』で知られるA・J・トインビー博士はスコットランド民族のディアスポラ(交易離散共同体)を指摘する。さらに著者は、スコットランド・ルネッサンスまた啓蒙主義思想が一九世紀初めに途絶えたのではなく、「エンジニアの思想」として再生され、文字通りスコットランド科学ルネッサンスとして近現代に大きな影響を与えたことを指摘したい。そして日本は「エンジニア」思想をスコットランド人教師・技師から見事に受容し、僅か四〇年で封建主義からの明治維新を経て近代国家に移行し、日清・日露戦争に勝利して日英同盟締結に至る社会進化を遂げた歴史に関心をもっている。

(きた・まさみ/比較経済史)