2003年02月01日

『機』2003年2月号:「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活 鈴木猛夫

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日本人の食生活崩壊の原点を明らかにした問題作!

余剰農作物のはけ口
 戦後日本人の食生活が急速に欧米化した裏にはアメリカの存在があった。農業大国でもあるアメリカは昭和二十年代、小麦、トウモロコシ、大豆等の農産物の過剰生産、在庫が深刻化し国家財政を圧迫していた。政府が借りる倉庫代だけでも一日二億円。一部は路上に野積みしてシートをかけて保管という状況で一刻も早く農産物の滞貨をさばく必要に迫られていた。その膨大な余剰農産物のはけ口として標的にされたのが日本であった。戦前までのご飯に味噌汁、漬物という伝統的な食生活に代わって、パンに牛乳、肉類、油料理という欧米型食生活を日本で普及させる活動を密かに行なった。それが成功すればアメリカ産農産物はすんなりと日本で消費されると見込んだのである。
 食糧難時代を過ぎコメ増産が軌道に乗り始めた昭和三十年代、アメリカは余剰農産物輸出促進法案(PL480)を成立させ、本格的に日本に対する農産物輸出作戦に乗り出し、パン食普及作戦等々を広範囲に展開した。主食がパンになれば、おかずは味噌汁、漬物というわけにはいかず、おのずと牛乳、畜産物、油料理という欧米型になる。その食材の供給元はアメリカであり、それを念頭においた作戦だった。パンの原料である強力小麦は日本ではほとんど産出できず、日本人がパン食を始めれば永久的に日本はアメリカのよきお得意になる。パン職人養成講座やパン食普及活動のための膨大な資金がアメリカから提供され、パン食は急速に広まった。
 牛、豚、ニワトリのエサであるトウモロコシ、大豆カスを日本に購入してもらうには、肉や卵、牛乳、乳製品等は栄養食品であるという教育を徹底させる必要があり、保健所などに対して啓蒙活動の資金が提供され、栄養学校では欧米流栄養学が教育された。さらに戦前まで少なかった油料理を普及させるためにフライパン運動(油いため運動)を展開し、油の必要性を強調する栄養指導が熱心に行なわれた。トウモロコシ、大豆は家畜のエサであると同時に油の原料でもある。
 学校給食ではパンとミルクを無償援助し、子供のうちから洋食嗜好の下地を作ることにも成功した。子供の時に食べた物が一生の食生活を決めるとも言われている。アメリカはそのことをよく理解していればこそ、学校給食への介入に非常に熱心だったのである。
 欧米型食生活普及のために、アメリカは官民挙げて日本に対し膨大な資金を提供し、下工作を展開し、予期以上の大成功を収めた。これを一般に、「アメリカ小麦戦略」というが、日本側栄養関係者も、欧米型食生活普及日本人の健康向上に寄与するとして全面的に協力した。しかし栄養改善運動のための活動資金の多くがアメリカから出ていたことは、今も昔もタブーになっていてこの話は伏せられている。そのため食生活欧米化の真の原因が分からず、したがって的確な食生活改善策を今も見出せないままでいる。

食生活の見直し
 今、アメリカ小麦戦略の成功で、日本で消費される小麦、大豆、トウモロコシの九割以上がアメリカをはじめとする外国からの輸入となり、食糧自給率は四割以下で先進国中最低となり、食糧安保の点からも危惧されている。問題は、欧米型食生活にともなって病気もまた欧米型となり、日本人の健康状態が非常に懸念される状況になってきたことである。
 日本が手本にした欧米型の栄養学、食生活はあくまでも欧米人のためのものであって、風土も産物も体質も違う日本では決して真似すべきものではなかったのだ。今こそ伝統的な日本食の良さを再認識すべき時ではないだろうか。食物が急激に変わっても日本人の胃袋が急に変わるわけではなく、欧米型の病気やアレルギー疾患が増加するのは当然であろう。「明治の長命、昭和の短命」は正に現実のものとなりつつある。
 戦後、栄養関係者が熱心に良かれと思って導入した欧米型の食生活だが、その路線を見直すべき時にきていると思う。

(すずき・たけお/食生活史研究家)