2003年02月01日

『機』2003年2月号:「全体史」について P・ブローデル

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人文社会科学の総合をなしとげた『地中海』の著者、決定的伝記

「全体史」の語義をめぐって
 ロジェ・シャルチエの書いた第十九回歴史科学会議についての報告が二〇〇〇年八月十七日の『ル・モンド』紙に出た。八月初めオスロで開催されたこの会議には、二二〇〇名の歴史家が出席し、活気があると同時に重大な会議であった。およそ六十か国から参加した歴史家たちは、二十世紀の歴史研究の種々の流れについて、および方向転換が必要になることについて、一種の自己分析を行なった。
 この記事に目を通して私が驚いたのは、そこに「全体史」という言葉が出ていることであった。きわめてブローデル的な表現だが、「会議の最大のテーマ」に格上げされているこの表現は、歴史家、少なくともフランスの歴史家の用語法からはずいぶん前に完全に姿を消したものである。ああしかし残念ながら! 少し注意深く読んでみると、そこで用いられている全体史(英語の「グローバル・ヒストリー」)は、かつてブローデルの名前としっかりと結びついたそれとはほとんど関係のないものであることがただちにわかった。(略)
 このような取り違えは特に前述の全体史が、数十年前に、思想的な争いの核心にあっただけにますます驚くべきことである。(略)「フェルナン・ブローデル・センター」と名付けられた社会科学の新しい研究センターの開設にあたり、一九七七年五月十五日から十七日までイマニュエル・ウォーラーステインによって組織されたシンポジウムの時に対立が広範に、しかも率直に広がった。シンポジウムのテーマは、「社会科学に及ぼしたアナール学派のインパクト」(叢書「世界システム」5巻、小社近刊)であった。議論は、予見可能であったように、「古い」『アナール』と「新しい」『アナール』との対決になった。(略)ブローデルは彼の歴史家としての自身の立場を曖昧さなしに定義し直す――とりわけ彼が「全体史」によってどういうことを意味しているのかを。この点については、録音のおかげで、即興のスピーチの自由を完全に保持しているという利点を持っている二頁をのちほど全文引用することにしよう。

ブローデルにおける「全体史」
 ある著作の終わりに待ちかまえている困難(「私は『地中海』を何度書き直したかわからない」)が「私にとっては、問題は最終的に決して解決されない」ということに由来するということを示したあと、ブローデルは決してなんらかの理論から出発したことはないことを明確にしている。ブローデルが「異なる速度、異なる時間性に従って歴史の時間を分割するに至り、長期持続の弁護人となるに至った」のは、地中海に関する彼の著作を作り上げるときである(「歴史とは再構成である」)。しかしそれは「限界に達した」。だからブローデルは、次のように続ける。

 全体性、つまり私が弁護する全体史は、少しずつではあるがどうしても私に必要なものとなってきたのです。それは何か非常に簡単なことで、しかもあまりにも簡単であるがゆえに、私の同僚の歴史家たちの大部分が私のことを理解してくれないのです。それどころか、私を激しく攻撃するのです。そういうわけですから、私は自分で自分のことをはっきりと説明してみることにしましょう。というのもこの問題、つまり私の人格にかかわると思われる問題が、実はこのシンポジウムの論議の中心になっているからです。全体性とは世界の完全な歴史を書くという思い上がりではありません。それはそのような幼稚で、好感のもてる、狂った思い上がりではありません。それはただ、問題に取り組んだとき、徹底的にその限界を乗り越えたいと思う願望にすぎません。(後略)

(Paule BRAUDEL/フェルナン・ブローデル夫人)
(はまな・まさみ/南山大学教授)