2003年01月01日

『機』2003年1月号:「ゲヌス」と新しい身体史からみた民俗学の対象(抄録) B・ドゥーデン

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ジェンダー研究のただ中で誤解されてきた「ジェンダー」概念を問い質す!

「ゲヌス」とは何か
 私たちが計画していたのは、身体史と思想史というこのふたつの側面から民俗学における(文化の担い手となっている)レアリア(生活文脈における現実物)の概念を厳密化することを提言することでした。私たちの探求は、事物における身体の反射であり、身体における事物の反射を見ようとするものです。そして、事物と身体との還帰的関係へアプローチするために私たちが手がかりとするのが、「ゲヌス」なのです。私たちが「ゲヌス」ということで理解しているのは、イバン・イリイチが一九八二年に出版された同名の本(邦訳『ジェンダー』、独訳『ゲヌス』)で言っている実存的な特殊性のことです。当時では、この「ゲヌス」ということばは英語の辞書でもドイツ語の辞書でも文法的な術語としてのみ理解されていました。それにたいして、私たちはこの「ゲヌス」を、女性と男性との間の乱対称的かつ存在構成的な相補性を言い表すためのことばとして用いたのです。「ゲヌス」に対立するものとして、近代において「ゲヌス」を壊し解体してしまった「セックスの統括」があります。一九八二年という時点で私たちが注目していたのは、どの文化にあっても、男性と女性とでは、物の捉え方や取り扱い方、あるいは作り方が異なっているという事実であり、また、そのことが文化的に重要であるという事実でした。

イリイチの教え
 私自身、自分の研究を始めた頃には、こうした主張には怒りを感じたことを申し上げなければなりません。当時、私は、女性たちが過去の時代に部屋を暖めたり、洗濯物を洗ったり、掃除をしたり、空腹や欲望を満たしたりしてきたこと、女性たちの努力や苦労、そして彼女たちの骨折り仕事を、分業や生産、再生産や消費、あるいは役割付与といった概念をもとに研究しようとしていました。イリイチがそうした私の試みを批判したのは一九七〇年代も終わり頃でした。イリイチに言わせると、現代の社会科学が用いるこうした概念は、日常の仕事という布地から男性的皺も女性的皺も伸ばしてしまうようなアイロンのようだというのです。当時、私は激怒しました。けれども、戦いのかたちで始まったことは、まもなく共通の営みに変わっていきました。私たちは、こうした概念やその他の概念を含めて、歴史学の根本概念のキーワードについて、その有効性を再検討し始めたのです。そのことで、「分業」や「生産」そして「再生産」といった術語が、つまり分析道具としてのこうした概念がいかに具体的な行為を捉えそこなっているかということが次第に明らかになっていきました。社会科学のこうした専門用語は、女性の身体を労働力にすりかえてしまうのです。 

(全文は『環』12号に掲載:北川東子訳)