2002年12月01日

『機』2002年12月号:世界文学空間とは 岩切正一郎

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文学の〝世界システム〟の存在を初めて解析した『世界文学空間』今月刊行!

文学における信用の経済
 だいぶ前のこと。パリから成田に向かう飛行機で、隣の席にいた象牙海岸の税官吏と世間話をしながら時を過ごした。成田に着いて、東京まで一緒に行くことにし、両替所に向かった彼を待っていると、しばらくして、憤慨しながら戻ってきた。きけば、彼の持参した象牙海岸の紙幣は、お札として認知されず、円に交換してもらえなかったそうだ(黄色い大判のお札だったような気がするが、はっきり憶えていない)。「私は、象牙海岸のお金をたくさん持ってきた。ほんとうは私はお金持ちなんだ。でもここでは役にたたない。どうしよう」と、途方に暮れていた。
 貨幣は信用である。おなじように、文学とその言語にも、信用の経済が働いてはいないか。それが『世界文学空間』の著者の問いである。ケニヤの作家ジオンゴが、母語のギクユ語で小説を書くとき、作品そのものの(内在的)文学性とはべつに、言語と一体になった文学的信用が機能し、それは英語で書いたときと同じ力で文学市場に流通するわけではない。
 文学空間に現実主義的な機能が存在することは、ゲーテの喚起する「知的商品の世界市場」や、ヴァレリーの使う「〈文化〉資本」、「精神経済」といった観念によって示されているのに、それは「メタフォリックで『詩的』な解釈のために、批評の側から強力に否認され捨てられている」。著者は、これらの言葉を字義通りに受け取り、文学世界の構造と地理と歴史のあらたな解釈を提唱する。対象となるのは、ルネサンス期のヨーロッパ文学からわれわれの時代の文学までである。

文学的領土と国境
 そこで明るみに出されるのは、政治的な区分けとはべつに成立している「文学的領土と国境」である。「唯一の価値、唯一の資源が文学であるような国。暗黙の力関係、とはいえ世界中で書かれ流通しているテクストの形式を命じているような力関係の支配している空間。」それは、「言語が権力の道具となる」世界である。
 このような場所での、各人の「作家として聖別されるため」の戦い(一例だけあげれば、スイスのフランス語の作家ラミュ)、「特殊な法」の発明(たとえば、自律した文学価値を制定し認証する制度、賞、作家の威光)、「ライヴァル関係にある言語とのあいだでなされる」闘争(たとえば、フランス語に対抗する十八世紀後半のドイツ語)、「文学的であると同時に政治的でもある」革命、の数々が本書で分析される。

構造分析が顕わにする「周縁」作家の輝き
 こうして、世界的な文学空間の成立の過程と、そこにひそむヒエラルキー構造(その文学首都は事実上パリである)をあぶり出しながら、著者は、支配者側にたいする被支配者側からの権力奪取行為である「文学革命」について詳述する。ジョイス、ベケット、カフカ、フォークナー、等々は、文学の中央で聖別された「大作家」ではあるが、彼らはみな文学的な「周縁」の、文学的被支配空間出身の革命家なのだ。
 したがって、彼らについて語りながら、おなじ構造的不利益に見まわれつつ作家活動をしている、文学的「小」国、「小」言語の作家たちを語ることが可能になる。著者のこのスタンスによって、すでに聖別された作家は、あらたに武器庫の危険な魅惑を発揮し始めるし、「小」文学の作家たちは、構造的な困難の暗いスティグマを刻されることで、暴力的な輝きを放ち始めることになる。

(いわきり・しょういちろう/国際基督教大学準教授)