2002年09月01日

『機』2002年9月号:ウォーレスの大発見 松本道介

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辛口文芸評論家による鋭利な読書エッセイ『午睡のあとで』今月刊行!

気ままなエッセイ
 本書『午睡のあとで』に収めた随筆百一篇は「熊本日日新聞」の「本のページ」(火曜日夕刊)に平成十二年四月から今年の三月まで二年にわたって連載した。
 なにを書いてもいいとのことだったので、さまざまな思い出や今の世の中について感ずるところなど気ままに書いた。と言っても「本のページ」の随筆欄なので、昔、あるいは最近読んで面白かった本や小説について書いた文章がおのずと多くなり、全体の半分くらいになった。しかし書評といったスタンスで書いたものはほとんどない。

ウォーレスの『マレー諸島』
 とりあげた五十冊くらいの本のうち、イギリスの博物学者A・ウォーレスの『マレー諸島』だけは四回も書いてしまった。愛読書のなかの愛読書ということになるが、ドイツ文学を専攻していて格別博物学に関心があるわけでもない私がなぜこのような本を愛読するようになったのかわれながら不思議である。 ウォーレスはダーウィンより早く進化論を唱えながらダーウィンの蔭にかくれてしまった不運の人、悲劇の人と見られている。しかし私は進化論にそれほど関心がないせいかあまりウォーレスがかわいそうだとは思わない。ウォーレスも進化論にそれほど熱心ではないし、先陣争いの意識などまったくないようだ。
 ウォーレスは進化論に専念するにはあまりに関心の豊かな人だった。スマトラ、ボルネオをはじめ大小さまざまの島の動植物、昆虫、地誌、民俗、あらゆる分野での探究から大陸移動説、また生命の美に対する感嘆まで、その関心、観察、思索は実に多岐にわたる。
 ウォーレスは昆虫や植物を採集し標本をイギリスに送ることを職業にしていて、新種の発見は数限りなくおこなっているが、なかでも“大発見”だと思うのは、ニューギニア南方に浮かぶアルー本島の森の奥での“発見”である。

相対性原理に匹敵する?
 ウォーレスは科学者でありながら美の感受性も豊かな人であり、無人の森で極樂鳥という世にも美しい鳥を目にした時の感激は大きかった。遠いアジアまではるばるやってきた甲斐があったと喜ぶのだが、そうするうちに、これほど美しい鳥が毎年毎年、いや何万年ものあいだ、誰にも見られることなく生命をまっとうしては死んでいったことを思って憂鬱になったという。
 しかし、だからと言って多くの文明人が極樂鳥を見ようとこの森へやってくればいいのか。そんなことをすればたちまちのうちに生態系は破壊され、極樂鳥は絶滅の道をたどるだろう。それに極樂鳥自身は人間に見てもらうことなど少しも望んではいない。そう考えたとき、ウォーレスは悟ったのだ。すべての生きとし生けるものは人間のために作られているのではないことを。
 あまりにあたりまえのことながら、これは大発見だと思う。ちょっと大袈裟かもしれないがアインシュタインの相対性原理にも比すべき大発見だと私は思っている。
 アインシュタインの大発見はいち早く認知され、今では世界の常識にさえなっているが、ウォーレスの発見はすでに百五十年近くを経て、いささかも認知されていない。われわれ人類はすべての生きもの、すべての地球資源が人間のためにつくられていることを今もなお固く信じて疑わず、日夜地球環境の破壊にいそしんでいるのである。
 ウォーレスはイギリス人といっても辺境のウェールズの人である。ダーウィンのような上流階級の出身ではなく学問もほとんど独学だった。そして当時の人としてはめずらしくキリスト教徒ではなかった。十九世紀のイギリスにあってキリスト教徒でないことがどのような意味を持つのか私にはよくわからないが、ウォーレスのものの見かた、考えかたの柔軟さやアジア人の生きかたへの順応の速さなどすべてキリスト教徒でないこととかかわりがあると思われてならない。

(まつもと・みちすけ/文芸評論家)