岡部伊都子の文章を初めて読んだのは、少女の頃だった。母が何かのプレゼントに、『秋雨前線』を買い与えてくれたのだった。しかし、私にはその意味するところがさっぱりわからなかった。幼なすぎた。
今、中年になって、『かなしむ言葉』を読んで、驚いた。こんなに激しい人だったのかと思った。
「私など、いわゆる本妻の子らの方が、根性も弱く、ずるく、いやしい。可哀そうに、同じ男性を父にしていながら、私たちだけが大っぴらに父とよんでいたのである。けれど、父の愛情、ふびんは『本妻の子は恵まれている』といって、日陰の子らへそそがれていた。それが私たちを刺していた。」(「うねびををしと」)
『万葉集』の三山の愛をうたった大らかな天智天皇の歌から展開される言葉がこれである。「根性も弱く、ずるく、いやしい」と言い切れる心の闇の深さに打たれる。ここまで自分を見切れる強さは何だろう。
だが、それにしても、耳成山、香具山、畝傍山の神話的な三角関係から、灼けつくように深刻な愛憎の世界を引き出して来る情念には何か暴力的なものがある。
古典からこの生々しさを受け取る感性は、あるいはもっと他のジャンルに向かうべきものなのかも知れない、と思った。
しかし、自身、あとがきで、「『随筆のようで紀行のようで、評論のようで懺悔のようで、あるいはまたレポートのようで』とか『美学なのか、哲学なのか、宗教なのか、それとも思想の書なのか』などと、おたよりをいただくことがある。深い読みかたをして下さって、とありがたく思う。いったいどう表現すればよいのか……とにかく、私には私の書いた原稿であるということしかわからない」と語っている。
こうした、ジャンルの境界を意識しない、いわばわがままな自由さは、著者の永遠の少女性とでも呼ぶべきものに起因するのではないだろうか。
永遠の少女性と言うほど、私は著者の歩んで来た歴史を知らないのだが、印象的だったのは次のエピソードである。
「(略)私は、幼いときの中耳炎がもとで、海水浴を禁じられている。だから、泳ぐたのしみを知らない。
しかし、泳げない女としては、海をおそれないところがある。少女のころからわりにボートを漕ぐのが好きで、五、六人乗りの大型ボートに人をのせて、ひとりで漕ぎでた思い出もある。ずんずん沖に出て、浜をふりかえった同乗者たちが『大丈夫?』と心細がった。
そのうちに海面の水色がかわった。みんなの顔いろもかわった。みんなは泳げて、だから水泳着をきているのだし、私は藍の浴衣である。あまりやいやい言われるので、また岸に漕ぎ戻ったが、結局、泳げない私が、いちばんこわがらないという結果になった。ふだんから、死というものを身近く考えていたせいもあろうし、また、海を知らないから、こわさが感じられなかったのでもあろう。」(「見るよしもがな」)
「泳げない女としては、海をおそれないところがある」にまず驚いた。私も泳げないが、それゆえ海は恐怖の対象である。まして、泳げない身で人をのせて海にボートを漕ぎだすなど思いもよらない。上手な人の漕いでくれるボートでさえしりごみしてしまう私である。
ところが、著者は全くちがう。海面の水色がかわり、みんなの顔いろが変わるところまで、ずんずん行ってしまう。しかも、海を知らない身にふさわしく、藍の浴衣のままで。
大人は泳げて海のおそろしさを知っているが、泳げない少女は海をおそれず、水の色が変わるのを何とも思わないのだ。いざとなれば藍の浴衣のままで海に抱かれればそれでいい、と感じているにちがいない。
この少女性は無敵である。海さえ、彼女のボートを無事に岸に帰してくれたのだ。
もちろん、いくら自分がこわくなくとも他人の命をあずかりながら、ずんずん沖へ漕ぎだすのは無責任だという見方もできるだろう。他人が自分と同じように死と馴れ親しんでいるかどうかはわからないのだ。それをあえてやってしまうところに、岡部伊都子の無手勝流の不逞な少女性が現われている。
先ほども述べたように、海をおそれる臆病者の私としては、そのような著者の自由さに、憧れと反発をこもごもに感じる。
美学なのか哲学なのか、随筆か紀行か、ジャンルを問わない感覚についても同じだ。これもまた私が、最古の詩形式である短歌をつたないながら作る者であり、いやおうなく形に呪縛されているせいでもあろう。
(みずはら・しおん/歌人)
※全文は『かなしむ言葉』に収録