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〈岡部伊都子作品選 美と巡礼〉1

古都ひとり

〔解説〕上野朱

四六上製 216頁 2100円
◇4-89434-430-0
【第1回配本 2005年1月刊】
Now Printing

 なんとなくうつくしいイメージの匂い立ってくるような「古都ひとり」ということば。思いがけもなく与えられたその「古都ひとり」というタイトルを、くりかえしくりかえしくちずさんでいるうち、心の奥底からふるふる浮かびあがってくるのは「呪」「呪」「呪」。……

(本文より)

 ■「呪」「虚」「艶」「彩」「闇」「音」「執」「淡」「幻」「酔」「離」「荒」……漢字の一文字から浮かび上がる古今変わらぬ人間の思い、自らの思いを、古都の風物に託して綴る名作。


【藤原書店PR誌『機』2005年2月号より】

美はいのちの別名
上野朱
大仏さんの座り込み
 四十年近くも前のこと。「奈良の大仏さま」という短いエッセイが、『朝日ジャーナル』誌上に掲載された。筆者は九州の旧産炭地・筑豊に住む、記録作家の上野英信。
 小学校を卒業したばかりの英信の息子が、関西の親戚を頼ってひとり旅に出た。しかし出たはいいが何日たっても電話ひとつよこさず、心配しているところに一枚の葉書が舞い込むが、それにはこう書かれていた。
「奈良の大仏さんを見てきた。あれに南ベトナム解放戦線旗を持たせて、の座り込みをさせたい……」
 英信は、以前福岡の米軍板付基地前の座り込みに、小学生の息子を連れて行ったことを披露しつつ、「奈良の大仏よ、古都のみ仏たちよ、こいねがわくば、この末世のあわれなる人の子らの祈りを無にしたまわざらんことを」と記している。板付、、三里塚をはじめとして、善男善女らが運命を賭してたたかっている場所こそ、み仏たちの坐したもうべき蓮のうてなである、と。
 それでよしておけばよいものを、「仏さま好きの岡部伊都子さんが聞けば、なんというもったいないことを……と、さぞ嘆かっしゃるやろうばい」と口を滑らせ、大の岡部ファンである妻の顰蹙を買った、ということをつけ加えた。
 果たして後日、岡部さんから抗議が寄せられたのである。抗議といっても声高な糾弾や謝罪要求ではない。細く悲しげな声で、「上野さん……、おうらみいたします……」。
 大仏さまに座り込みをさせることをうらむのではなく、岡部さんが嘆かれるだろう、という想像をうらみます、と。
 さて『古都ひとり』が最初に出版されたのが一九六三年三月。上野英信が家族と共に筑豊に住みついたのが、そのちょうど一年後のことだ。今、手元にある初版本を開くと、一九六四年の日付と岡部さんの署名があるので、「筑豊文庫」開設の年に、前年に出たこの書を携えて筑豊を訪れて下さった日が、私(奈良の大仏に座り込みをさせようとした、英信の息子)が、岡部伊都子さんに初めてお会いした時、ということになろう。

「のろいをのろいきる」
 単行本を平積みにしただけで、大人の背丈にもなろうかという著作群を貫くものは、美といのちへのいとおしみ、そしてそれらをおびやかすものへの抵抗と怒り。それを岡部さんは『古都ひとり』の文中で、「『人間を不幸にするもの』にはそれがどういう形をとるものであれ、徹底的なのろいをのろいきらねばならぬ」(「呪」の章)と、厳しい言葉で表現される。
 日本の近代化や経済成長のために多くのいのちを呑み込み、生きながらえた人も貧苦にあえぐ旧産炭地に心を痛め、まだ新幹線もない山陽路をたどって九州の片田舎へ通ってこられたのも、思えば当然のなりゆきであったのだ。愚かな私などはあとあとになって、あの日黒いボタ土に降り立ったのは、そんな怒りと哀しみ、そしていとおしみを抱いた夕鶴であったことを悟り、「おうらみいたします」と言われた岡部さんこそが、奈良の大仏や古都のみほとけに、座り込みをしてもらいたいと願う人だった、と知る。

真の美とは
 時に繊細すぎるほどに感じられる岡部さんの〈美を求める心〉は、ざらついた日常の中でつい見落としてしまうような、ささやかなことがらまですくい取りつつ、その筆は必ずいのちにゆきついて、文字通りの「賛美」のみにとどまることはない。非礼を省みずに推測するなら、岡部伊都子さんにとって美はいのちの別名、たとえいかに小さく弱くとも、なにものにも侵されることのない健やかないのちのありようこそが、真の美なのであろう。
(うえの・あかし/古本屋)
(構成・編集部)

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