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帝国以後、世界は? 池村俊郎

「帝国」アメリカの崩壊を予言し、欧米に波紋を巻き起した話題作の完訳!

アメリカの衰退は始まっている
 ブッシュ米政権がイラク攻撃の準備を開始した昨年九月前後から、フランスで「アメリカもの」の話題作が相次いで出版され、書店店頭に並び始めた。中でもエマニュエル・トッド著『帝国以後』はフランスの有力各紙書評欄で論評され、あるいは著者自身がテレビの討論番組に登場するなど、アメリカ論議の中心にすえられた感じさえある。 昨年春、任期を終える仏社会党政権のユベール・ベドリヌ外相がフランス外務省幹部職員に最後のスピーチをした場に居合わせたことがある。「アメリカをどうとらえ、どう接していけばよいか、経験と知恵を絞り、全力をあげて考えてほしい」――かつてミッテラン大統領の懐刀といわれた外相が伝えたメッセージは、フランス人外交官だけに向けられたものではないと思えた。どの国の経済、政治、そして思想の分野で活動する人々にも投げかけられた現代世界の大テーマであろう。 フランスでアンチ・アメリカニズム(反米主義)をめぐる議論は、十九世紀から延々と続いてきた。大衆レベルではモノと金にあかせる者に向けた「アメリカ人嫌い」の感情に、知識人でもレイモン・アロンを数少ない親米派の例外として、数多くの思想家、学者たちの言動に反米主義の伝統が反映してきた。 フランス社会にあるそんな伝統的な流れから、「アメリカの衰退は始まっている」と断言するトッド氏の新著も、アンチ・アメリカニズム本の範疇に入れられかねないのだが、著者本人は「反米主義どころか、私はアメリカに心情を寄せており、英米派といっておかしくない」と反論する。そこには世界の政治、経済の現実と、現代アメリカ社会、その国家戦略を分析することで客観的な結論にたどり着いたのだという自負がこめられている。 パリのセーヌ川左岸にある著者宅を訪ねたのは昨年十二月末で、米軍のイラク攻撃があるかないか、マスコミの関心が集中し始めた時期にあたった。 「アメリカがなぜあれほど軍事行動に熱意を燃やすのか、これまで自分たちは勘違いしてきたように思えたのです。いわれるようなハイパー超大国の力の現れなのではなくて、衰退を恐れるアメリカ人の自信の揺らぎがそうさせているのではないかと考えるに至ったんです」 グローバリゼーション(世界化)下でデフレ化した世界経済の実相を抉った前著『経済幻想』から出発して、アメリカ経済の弱点を知ったという著者は、外交、経済、軍事を含め、アメリカの世界的意味を改めてとらえ直してみようと思ったという。それによって十年以上先の中長期的な世界のあり方まで展望できるのではないか。そんな野心を込めた本が『帝国以後』ということになる。 トッド氏がフランス論壇で耳目を集めたきっかけは、一九七六年出版の『最後の崩壊』で、若い人口統計学者としてソ連の乳幼児の高い死亡率に着目して社会基盤弱体化の始まりを見抜き、国家崩壊を予言したことにある。インタビューの際も、「ソ連崩壊などだれも口にしなかった時代だっただけに、今でも誇りに思っている」といっていた。 その後の著書『新ヨーロッパ大全』『移民の運命』『経済幻想』でも生かされたその手法は、今回もアメリカ社会分析に発揮されている。たとえば、アメリカ社会の貧富の格差拡大に加え、人口構成比で白人に次ぎながら、低所得層の多いアフリカ系住民の乳幼児死亡率が極めて高く、社会基盤の崩壊を予兆させるといった指摘である。 そうした独自の社会分析を踏まえ、アメリカという現代の帝国が衰退しようとする時、世界に向かってどう行動し、その意味をどうとらえるべきか、欧州や日本はどう対応すべきなのか、と著者の論点は広がっていく。

アメリカこそが世界を必要としている
 世界軍事予算の三分の一に上る巨額投資によってアメリカの軍事力増強はますます進み、西欧やロシアを引き離し続けている。しかし、超大国の力を象徴するはずの巨大な軍事力にも弱点が露呈していることを著者は独自の視点で論じていく。 アメリカ経済もまた一九九〇年から十年で貿易赤字が一千億ドルから四千五百億ドルに膨れ上がり、海外から毎日一二億ドルの資金を引き寄せなければ成り立っていかない。さらにエンロン事件などに典型的に現れるように、数字を操作したフィクション化経済の様相も強まっている。 「世界がアメリカを必要としているのではなくて、アメリカこそが世界を必要としている。そこで自分たちが世界に不可欠な国だと見せつけるためにも、弱体化したイラクのような格好の軍事的な標的が必要なんです」とトッド氏はいう。 「民主主義を世界に拡張することを看板とした現代アメリカの行動原理もおかしい。9・11テロの衝撃に惑わされがちだが、世界は間違いなく安定へ向かっている。アメリカが軍事力で手を伸ばさなくてもブラジルや韓国などに見られるように、民主化の波は各地に及んでいる。各国で民主化が進めば進むほど、民主化を海外に波及させると勇み立っているアメリカを、世界が必要としなくなるという皮肉なことでもあるんです」

帝国以後の世界像は?
 民主化、近代化の進展を計る尺度として著者が着目するのが識字率の高さと出生率抑制の相関関係である。それはイスラム諸国を例外として、アフリカ、南米、中国でも顕著になっており、緩やかな民主化の波の広がりを不可避の流れとみなす。こうしてハイパー超大国アメリカの世界戦略を支えるイデオロギーとしての民主主義、巨大な数字を誇る軍事力と経済力のいずれにも、「幻想」が潜むことを抉り出していく。 「アメリカは世界の安定勢力ではなく、むしろ自国の存在意義を失わないために世界各地に軍事力で進出するようになり、逆に不安定要因になっている」とみるトッド氏は、欧州・ロシア、そこに加わった日本が荒ぶるアメリカを鎮静させるパワー集合体となると予測する。それが「帝国以後の世界像」ということになるが、果たして日本が欧州・ロシア連合に近づくのか多様な意見があろう。いずれにせよ、対米関係さえ安定すれば事足れり、としてきた日本と世界のあり方を再考させる見方として興味深い。 また「イスラム世界には核となる中枢国家が存在しないし、テロを生み出す現在の混乱は過渡期に過ぎない」と断言して、イスラム文化圏を敵対的に見なさない論理にも独自性が光る。その点で日本でもてはやされた米ハーバード大学ハンチントン教授の「文明の衝突論」を批判的にとらえる切り口を提供している。 もちろん、軍事力に依拠した「パワー・ポリティクス」が存在するのも世界の現実だから、世界未来図をめぐるトッド氏の予言にフランスでも反論があるのは事実である。しかし、アメリカをめぐり、かつてのソ連のような世界の危機要因となる可能性がまったくないことを前提に考えている今日の日本にとって、刺激に満ちた現代アメリカ論であることは間違いない。

(いけむら・としろう/読売新聞パリ支局長)

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