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琉球の第一線の執筆人70余名による初の総合的琉球文化論
 
別冊『環』
琉球文化圏とは何か


2002年6月刊!

菊大判 392頁 3780円
ISBN4-89434-343-6
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 日本の周辺ではなく、アジアの中心に位置する琉球をひとつの文化圏として捉え直す初の試み。

〈特別対談〉「『清ら』の思想」
海勢頭豊+岡部伊都子

 婚約者を沖縄で失ったエッセイストと琉球の美を探り続けた伝説のミュージシャンが琉球の歴史と思想の根源を語り合う!


琉球にとって豊かさとは何か――基地・産業・自然

 沖縄米軍基地の歴史
高嶺朝一
 沖縄経済と基地問題
来間泰男
 琉球の環境問題
宇井 純
 物語が終わった後で――真の豊かさとは何かを考える
安里英子
 神々の島に舞いおりた厄病神――ユニマット西表リゾート狂想曲
石垣金星
 琉球観光の歴史とその課題
渡久地明
 グローバリズムの中の琉球
松島泰勝
〈コラム〉
  浦島悦子/高江洲義英

琉球の歴史――島嶼性・移動・多様性

 閉ざされた原初ヤマトを沖縄から開く
名護 博
 島嶼性と海上交通からみた近世の琉球社会
豊見山和行
 神々の琉球処分
後田多敦
 歴史からみた出稼ぎ・移民――「雄飛」から「棄民」へ
比嘉道子
 沖縄人と台湾・満州
又吉盛清
 文化的ホットスポットとしての奄美諸島
前利 潔
 琉球文化圏の中の宮古文化
下地和宏
 琉球文化圏の中の八重山文化――来訪神のことなど
石垣博孝
〈コラム〉
  嘉手納安男/安里進/真久田正/島袋まりあ/上勢頭芳徳/米城惠

琉球の民俗――言語・共同体・伝統

琉球民俗学は可能か
比嘉政夫
琉球の食生活と文化――異文化接触は食文化形成にいかに影響したか
金城須美子
基地・動物供犠・社会運動――問題構成の民族誌へ向けて
前嵩西一馬
〈コラム〉
  西岡敏/波照間永吉/嘉手納安男/具志堅邦子/ルバース吟子/高嶺久枝

琉球のアイデンティティー――帰属・主体・表象

「尖閣騒動」と「琉球・領土問題」
多和田真助
復帰運動とは何だったか
川満信一
歴史と自決権の奪還
高良 勉
近代沖縄におけるマイノリティー認識の変遷
屋嘉比収
風景の誘惑――文化装置としての「南島」イメージ
田仲康博
〈コラム〉
  島袋純/目取真俊/与那嶺功/米倉外昭

〈小特集〉 琉球の生んだ偉人たち

玉城朝薫(幸喜良秀)/平敷屋朝敏(仲本瑩)/恩納ナビィ(宮城公子)/富川盛奎〔毛鳳来〕(西里喜行)/大田朝敷(比屋根照夫)/謝花昇(伊佐眞一)/當山久三(石川友紀)/伊波普猷(中根学)/東恩納寛惇(真栄平房昭) /宮良長包(三木健)/宮城文(宮城信勇)/佐喜眞興英(稲福日出夫)/仲宗根貞代(宮城晴美)/千原繁子(由井晶子)/阿波根昌鴻(新崎盛暉)/新垣美登子(三木健)/金城芳子(由井晶子)/山之口獏(高良勉)

〔シンポジウム〕21世紀・沖縄のグランドデザインを考える

岡部伊都子/松島泰勝/櫻井よしこ/我部政明/大城常夫/仲地博/高良勉/ 上原美智子/川勝平太
〔発起人からのメッセージ〕大田昌秀/岸本正男/呉屋守將/榊原英資/佐喜 眞道夫/陳舜臣/西川潤

《関連書》
沖縄島嶼経済史 一二世紀から現在まで
真振 MABUI

【藤原書店PR誌『機』2003年6月号より】

琉球の歴史・思想の根源に迫る!

〈対談〉 清(ちゅ)らの思想
海勢頭豊+岡部伊都子

ギターを通して沖縄の美を遺したい

――海勢頭さんがこれまでどういうふうに生きてこられたのか、少しお話下さい。 本土復帰する以前から相当苦労されたのでは?

海勢頭 いや、苦労はしてないでしょうね。貧しくはあっても、苦労したとい う記憶はあまりなくて、人生って意外とおもしろいなと、非常に楽天的な性格 をもっているので、だからちょっとした困難な問題にぶつかっても、何か解決 の方法があるだろうということで、これまでそうやって乗り切ってきたんです 。
 ただ一つ、島の海を見て育ち、島の祭りごとを見ながら育って、どうも大和(やまと)とは 違うと感じるようになっていった。なんで沖縄はそういう古風な祭りを延々と 伝統として受け継いでやっているのか、これが不思議だったことと、島に戦争 が起こって、いまはその戦後なんだと。毎日のように女たちが泣いていて、そ のたんびに葬式をしていた、あの小さい時の島の風景を忘れたことはない。戦 後、沖縄の復興と同時に破壊されていく環境を、どうもこれはヤバイというふ うに感じながら育った少年期には、自分の遊んでいた島の海の生き物たちがど んどん少なくなっていった。だからそういうことに対してとても胸を痛めなが ら成長していったんですけれど、ただ痛めながら成長していくだけじゃ何の解 決にもならないから、できたら沖縄の美、琉球の美、これは環境だけじゃなく て、精神的な美もふくめて何か表現して遺さんといけないだろうなという思い があって、十八のころからギターを弾くようになって、音楽を手がけるように なったわけです。当初は、クラシックばかりやっていましたが、それじゃなん の意味にもならないので、自分で音楽を作るようにしようということになって 、だから独学で一応、詩も、これは直観的にやるようになって、今日まで来て るわけです。

――沖縄といえばすぐに三線と思うわけですが、三線ではなく、ギターでやられる ところに意外な感じを受けます。

海勢頭 三線はだれでもやるし、三線だけで沖縄を表現すると、いわゆる三線 の音色しか出せないんで、それをギターでやると小さなオーケストラと言われ るぐらいに世界に広がるいろんな表現方法がとれるんで、それでやってるんで す。三線をやろうと思えばいつでもできる。だれでもできるものは、べつに自 分がやる必要はないという考えで、ギターを勉強しはじめたんです。
 ギターを通して、宮廷音楽だとか、ピアノ以前のヨーロッパの古代史だとか 、そういうものにふれることができる。そうすると権力と音楽との関係が見え るようになるし、それから例えばモーツァルトやベートーヴェンなど、これま での世界の音楽の歴史が見えるようになるし、そして日本の歴史が見えるよう になってきた。
 そのなかでのいわゆる芸能というものの位置も見えるようになってきた。だ から自分が商品としての音楽を世に出す必要はまったくないという、そのへん をちゃんとさめた目で見て、結局、必要なものだけを作ろうということで、数 はそんなに多くないけれど、「喜瀬武原」(きせんばる)とか「月桃」(げっとう)とかを作ってきたということです。

――海勢頭さんの音楽には商品性が感じられない。

海勢頭 岡部さんとお会いして、岡部さんの言葉で一番びっくりしたのは、「 自分を売ったらあかん」という、あの詩で。ぼくはそれを守っててよかったと 思いながらも、でもみんなが要求したら、歌は聞かせないといけないし、遠慮 しいしい、これまでやってきたんです。必要だと思うことに対しては、全身全 霊を打ち込んで、生活のことも考えないでやってきたから……。それだけでい ままで生き延びてこられたという、幸せだなと自分では思っています。

「清(ちゅ)ら」としての美

岡部 それはどんなにお人柄、お歌、その志、怒り。やっぱり怒りというもの は、本当の真実を求めるもの。このことはこうしなければだめだという真実を 求めるのでなければ怒りは歌えない。それがはっきりと歌える。みんながドキ ンとするほど、みんながええかげんにしているところをグッと、お前は何だと いう問いかけがある。それが私は一番好きですね。

――怒りでもあるのですが、怒りの中に、さきほど「琉球の美」と言われましたが 、何か美しさを感じます。

岡部 そうよ、愛があるんだよ。その怒りは愛からの怒りでなければだめ。愛 があるから、腹立つことは腹立つわけや。だから海勢頭さんの人柄にみな惹か れる。その情愛の深さ、情愛が深いからこそ、あかんことはあかんと歌う。言 わざるをえない。言いたくないと思うても、言わざるをえない。そこが他の、 どういうのか、他人(ひと)の歌を作った歌を歌う歌い手さんと全然違うところですよ。
 それでその「愛」ちゃんというのが、お嬢ちゃん(笑)。

海勢頭 愛というか、琉球の美が消えていくことに対する哀惜だな。これを胸 に秘めて見てきたものだから。そういうのがバックにあって、自分はやっぱり 清らでないといけない。ちょっとでも心に濁りがあると、だんだんそれが自分 の中で嫌なものは排斥するという、その代わりいろんな悪に対しても包みこむ やさしさを自分で持たんといけないなというふうに、一応努力はしてきたんで すけどね。だけど岡部さんの本、どこを開いても、鋭い言葉で、そういうの、 みんな切るでしょう。私も切られながら反省しているんですよ。

岡部 私はやさしく言うてますねん。

海勢頭 いやいや、やさしい言葉だけど、まるでカミソリのようにぼくは鋭い 切れ味だと思ってます。

岡部 ほんまのことをいうてるだけ……。

海勢頭 そうそう。だからぼくは岡部さんの本は聖書のようなものだと思いな がら、今日まで来たんですけど……。とにかく清らで。
 「チュラ」という言葉があります。いま沖縄で流行っていますが、美しいを 「美らさん」と読ませている。だけどそれこそちょっとした妥協で、また沖縄 を汚してしまうもとなんです。言葉をもっと大事にしてほしいなと思いますけ どね。「チュラ」は「清ら」であって、限りなく無色、ゼロに近づいていく流 れ、その心の美しさです。
 美はいつでも解釈の仕方によって、美化されて、すぐ清らとは反対の方へも っていかれる。だから今の政治家はみんな言葉を操って、国民もみんなもまた それを適当に納得して、妥協して仕方がないかというふうに汚れたまま今日ま で来てるわけだけど、そうではなくて、精神文化というのは清らでないと、宗 教のようなものまでが意味を失なってしまう。聖人たちの言ったことも、宗教 界に組織ができてから美化され、みなおかしくなった。
 ぼくにも新曲作りませんかとか、いろいろ言ってきますが、首振ってばっか り。作る必要もないし……。それよりいままで作ってきたものを十分伝えるの で努力した方がいい。沖縄の歌と本土のいわゆる演歌や他の歌との違いも、「 清ら」です。古典にしても何にしても。つまりビブラートとか虚飾がない。そ の日の調子のまますなおに歌うのか一番沖縄らしい。だから沖縄を主題にした 演歌は沖縄ではなかなか流行らない。(抜粋)

(おかべ・いつこ/随筆家)
(うみせど・ゆたか/音楽家)