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「時空」から捉える“満洲”

学芸総合誌・季刊
(KAN)
【歴史・環境・文明】
Vol.10


特集:
満洲とは何だったのか

2002年7月刊

菊大判 464頁 本体 本体価格2520円
ISBN4-89434-292-8
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 特集 満洲とは何だったのか

日本近現代史も、戦後東アジア史も、満洲・満洲国を抜きにしてはその本質を捉えられない。

満洲・満洲国をいかに捉えるべきか  
山室信一

満洲をめぐる国際関係
三輪公忠

「満洲国」 【ある歴史の終り、そして新たな始まり】  
山本有造

歴史のなかの“満洲”
中見立夫


■周辺地域にとっての満洲

ロシアにとっての満洲
和田春樹

ユダヤ人、白系ロシア人にとっての満洲 【ハルビンで育って】
ヤン・ソレッキー

モンゴルにとっての満洲  
フフバートル

満洲にわたった朝鮮民族  
金賛汀

朝鮮民族の分断と満洲  
鶴嶋雪嶺


■中国にとっての満洲

「満洲」における思想弾圧の歳月  
呂元明

陋室懐旧録  
陳テイ

中国現代文学史上欠かせない一章
【東北における被占領時期の左翼文学・活動をめぐって】
劉慧娟+徐謙

「満洲国」の女性作家、梅娘を読む  
岸陽子


■満洲とは何か

“満洲”という地をめぐる歴史  
小峰和夫

満洲における諸民族の支配  
ユ・ヒョヂョン

樹状組織と網状組織の運動特性の違いについて
【市場構造から見た満洲】  
安冨歩

清朝の残響 【喪の物語としての精神史】  
能澤壽彦


■文化の先進地だった満洲

長谷川四郎における<満洲>への視座 【長城、収容所、戦後】  
川崎賢子

大連のアヴァンギャルドと北川冬彦  
和田博文

法という観念から見た満映の特異性と甘粕正彦  
山口猛

屹立する異貌の博物館 【満洲国国立中央博物館】  
犬塚康博

写真のユートピア 【淵上白陽と満洲写真作家協会】  
飯沢耕太郎


■満洲で日本は何をやったのか

満洲国政府の建築  
西澤泰彦

日本の満洲経営と新聞  
李相哲

写真に見る「満洲」イメージ  
西原和海

「観光楽土」としての満洲  【帝国の「野外劇場」】
高媛

植民地主義と医学  【開拓医学と満州】  
飯島渉

「満洲国」の経済遺産をどうとらえるか
【鞍山鉄鋼所から見た中国東北経済の連続性と断続性】  
松本俊郎


■満洲国に生きた人々

“実験場”にされた「満洲」の天国と地獄  
富永孝子

「満洲移民」の問いかけるもの  
蘭信三

満洲に送られた被差別部落  
高橋幸春

公娼制度の定着と婦人救済運動  【二十世紀初頭大連において】  
竹村民郎


小特集 満鉄の研究

後藤新平と満洲  
釈文・西宮紘

「満洲経営策便概」(一九〇五年)
「台湾統治ニ関シ訓示シ部下官僚ニ贈言セシ覚書」(一九〇六年)
「都督府制度ニ関スル談話覚書」(一九〇七年)

日本鉄道史のなかの満鉄  
原田勝正

満鉄調査部と戦後日本  
小林英夫

戦後中国大陸に生きた満鉄技術者たち  
杉田望

<エッセイ>
満鉄映画とは何だったのか  
モヤ・マリア・デ・ロス・アンヘレス




<エッセイ>
木崎さと子/羽田澄子/別役実/王音/金寿奉/張シンフォン



◆特別寄稿
<新連載>
鶴見和子―多田富雄 往復書簡
鶴見和子から多田富雄へ
第1回 自己と非自己について

<編集長インタビュー>
音楽をめぐって――「ジャル」と「もののあわれ」
ピアニスト 遠藤郁子



◆寄稿

歴史的転換点に立つメキシコ
北条ゆかり

アメリカの安全保障政策はどうあるべきか
【大国主義における「パーキンソン法則」の陥穽】  
J-M・クワコウ



◇連載 東洋について 6

「東亜」概念と儒学  
子安宣邦


◇連載 ブローデルの「精神的息子」たち 9
 アラン・コルバン  【心性史から感性の歴史へ】  
聞き手 I・フランドロワ(尾河直哉=訳)


◇連載 徳富蘇峰宛書簡 10
柳田國男
  高野静子



鶴見和子の歌  「分類学」
 
石牟礼道子の句  「水村紀行」


【書評・紹介】

  • 8/28 『朝日新聞』夕刊 「文化」欄「私の選んだ3点」 【評者:杉田敦氏】
  • 8/28 『読売新聞』夕刊 「論壇」
  • 8/4 『日本経済新聞』 「今を読み解く」欄  【評者:川村湊氏】
  • 7/31『毎日新聞』 「書評」欄 【評者:御厨貴氏】

  • 【藤原書店PR誌『機』7・8月号より】

    一九世紀以来の近代世界史のなかで、“満洲”を捉え直す!

    満洲・満洲国をいかに捉えるべきか

    山室信一/京都大学教授

    満洲とは何だったのか――戦後東アジア、近代世界史、二一世紀の諸課題、いずれを考える上でも満洲・満洲国が重要な意味をもつと述べる山室氏へのインタビューの一部を掲載する。(編集部)

    日本側の地政学的発想

     ――まず世界史の中で満洲という場をどう捉えたらよいのか。十九世紀の中葉から 欧米列強の対アジア進出というものが始まります。大国ロシアが南下する動き を見せ、他の欧米列強も中国進出、満洲進出を狙う。そうした中、日本も満洲 に進出する。この日本の動きをどう考えればよいでしょうか。

     山室 非常に大きな問題なのでいろいろな観点からの答え方が可能かと思いますが、 例えば、一八九〇年の第一議会で山県有朋が演説した「利益線論」と「主権線 論」というものがあります。これは基本的に井上毅が起草したものですが、主 権線というのは、国境のことで、その国境を守るためにはもう一つ先の利益線 を守らなければならないという空間認識に基づく国防論です。朝鮮を支配する と、もう一つ先に利益線を設定しなければならない、つまり朝鮮の先の満蒙も 支配しなければということになる。そうした日本の空間認識の中では、どうし ても国境の先にもう一つの緩衝地帯をつくるという発想になり、そうでないと 安全でないということになる。
     少し危ない見方ですが、日本の地政学的な条件の中で、朝鮮半島は、日本の脇 腹につきつけられた匕首であると。そしてその匕首に来るのはロシアしかない 。それを防ぐためには朝鮮をとらなければならない。そして朝鮮を守るために はその接壌地域である満蒙にまでいかなければならない。こうした必然性みた いなものを考えざるをえなかった日本側の地政学的な発想があったことは事実 で、これが「満蒙生命線」という議論に繋がっていきます。
     他方、日本の進出が問題になるのは、義和団事件以降です。つまりロシアが事 件以後も軍隊を退かずに居座りつづける。それに対し日本にいた留学生が中心 となって、拒俄義勇隊を結成しますが、清朝そのものはそれに対してむしろ抑 える方向に出て、自分で振り払おうとはしなかったという事実がある。
     これが、孫文は革命援助と引き替えに日本が満洲を支配してもいいという約束 を与えたという文脈につながっていくわけですが、中国からすれば、満洲とい うのはの地、つまり文明の地ではない、という発想がある。もちろん清朝にと っては自分たちが起こった発祥の地、龍興の地として永く封禁の地としていた のですが、清朝も二七〇年くらい経っていると、故地の防衛にそれほど価値を 見ていなかった。そういう意味でこの地域にある種のエアポケットが出来てい たことは事実です。そこにロシアが入ってくる。
     同時にまた日露戦争では日本を支援したアメリカも、戦争直後にハリマンが満 洲の鉄道買収を図るなど、門戸開放政策によって、自らは植民地支配はせずと も、国務長官ノックスが述べたように日本を満洲から「いぶり出し」て経済的 な支配力を及ぼそうという動きに出る。こうした状況に対処するために日本と しても満洲から退くに退けない局面に入っていきます。

    第一次世界大戦のもった意味

    山室 ただ世界史的な条件で一番重要なのは、第一次世界大戦の衝撃です。この戦争 ではじめて人類は総力戦体制で戦争を行った。石原莞爾などはとくにそのこと を意識したわけです。戦争に勝つためには、経済力、生産力を上げなければい けない。とりわけそのなかでも石炭と鉄が、当時の武器を生産するのに最も重 要な資源でしたが、それは日本にない。それを獲得できるのは満洲である。そ ういう形で総力戦体制が与えた影響は甚大で、そこからおそらく異なる段階に 入ったのではないかと思います。二十世紀初頭の後藤新平の時代の満洲と、第 一次大戦以後の満洲は、決定的に意味の異なる空間だと考えた方がいい。後藤 などの時代の満洲は大豆などの農業生産地、穀倉でしかないわけですが、第一 次大戦後には、総力戦体制を遂行するための最大の戦略物資基地になる。
    もちろんこれについては、別の考え方もあります。石橋湛山が主張したように 、領有するよりは貿易した方が、結局、安定的に資源を確保できるという考え 方がある。日本があれほど膨大なコストをかけて統治して、結局、ペイしたの か。むしろ占領しなくても、開発して貿易をして、日本にもってきた方が目的 の資源を確保できたかもしれない。
     ただし、それはその後の経済的ブロック化の歴史を考えると、必ずしもそうは いかなかったろうともいえます。実際、日本が仏印に進駐したとき、アメリカ は石油や鉄の輸出を停止して資産凍結をしました。ですからあの当時の世界的 状況のなかでは自由貿易だけでうまくいったかどうかはやはり問題になる。そ ういうことを考えると、陸軍が、石原莞爾が考えていたように、満洲を植民地 として確保しなければ、鉄と石炭を安定的に供給できないと考えたとしても、 当時の状況の現実認識としてはあながち間違いではなかったともみなせます。 だからといって植民地統治をしていいという意味では決してありません。ただ 満洲を確保しなければならないと考えることは、第一次世界大戦後の世界史の なかでは、ひとつの選択肢ではあったと思います。
     いずれにせよ人類史において第一次世界大戦は決定的な意味を持ちました。第 一次大戦を抜きにしては、二十世紀の歴史について何も議論はできないと思い ます。民族自決問題にしても、ナチスの問題にしても、それを抜きにして考え ることはできない。その後の人類がここまで来てしまった、こうなってしまっ たことの起源がそこにあるわけです。
     当初は「クリスマスまでには帰ってくるよ」と四〇日くらいで終わると思われ ていたのが、結局、四年に及ぶ泥沼の戦争になり、しかもあらゆる生活物資が 注ぎ込まれることになった。戦争とか何とかいう以前にこれは人類史にとって 、人間の存在そのもののあらゆる意味での転換点になった。人間そのものが歯 車に使われてしまう。生活全体も日常から戦争にすべて包み込まれてしまう。 そのことの意味は当然、満洲国を考える上でも決定的に重要ですし、日本の近 代史を考える場合も同様です。とくに日本の植民地統治問題の議論において、 これまでそうした観点が少し弱すぎたと思います。


    支配形態からみた満洲国の意味

     ――一九九六年に書かれた「植民帝国・日本の構成と満洲国」という論文の中で、 山室さんは「統治様式の遷移(succession)」と「統治人材の周流(circulat ion)」という観点から日本の植民地支配を分析されています。どういう狙いか らなのでしょうか。

    山室 大事なことは満洲国は、満洲国だけを取り上げては問題にできないということ です。いわゆる満洲国史という自己完結的な形でこれを問題にすることはもは や意味をもたない。日本帝国システムの一部として満洲国を位置づけなければ ならない。
     これまでも日本帝国の問題というのは、朝鮮、台湾、そして大東亜共栄圏とい う形で取り上げられてきましたが、満洲国を抜かした形で考えられてきました 。そうではなく満洲国がもっていた定点的な意味を捉え、そこに統治様式や統 治人材が流れ込み、そしてそこから流れ出ていったことが、日本の帝国システ ムを形成してきたという観点をとらないといけない。
     さらには満洲国を東アジア世界のみならず、近代世界史のなかで位置づけなけ ればならない。ただ、そうした研究を全体としてどういう枠組みで行なうか、 またどういう資料を使えばよいかという問題はあり、なかなか難しい。

     ――統治様式、統治人材という点で、満洲国成立の前後で変化はあったのでしょう か。

    山室 満洲国の成立前後で支配様式は大きく異なりました。はっきりいえるのは、関 東軍の持っている地位が決定的に異なってくることです。満洲国成立以前には 、よく逸話として言われることですが、満鉄総裁の宴会などでも関東軍の将校 や司令官は末席にいた。つまり非常に低い地位にあった。あくまで満鉄の沿線 の警備をするというだけの地位しか与えられていなかった。それが第一次世界 大戦後の世界で、日本の総力戦体制を支える満洲という位置づけがなされてく るなかで、関東軍の地位が次第に高まってくる。
     また第一次世界大戦は、もうひとつ大きな意味をもっていた。民族自決主義の 世界的な蔓延です。そういうなかで中国においてもナショナリズムが高揚し、 満蒙権益回復といった国権回収運動が起こってくる。それに対し武力でもって 抑えるという対応をとるかぎり、中国のナショナリズムが高揚すればするほど 、関東軍の地位が高まり、日本もさらなる権限の拡大を要求し、武力も増強し ていくというスパイラルに入る。第一次大戦中の一九一五年には、対華二一カ 条の要求を突きつけ、日本人の顧問などを入れて満洲を支配しようとします。 日本と中国の関係ということでいえば、この時点で日本の侵略の意図が露骨に 追求される段階に入った。現在でも中国においてはこの二一カ条要求は、日本 の侵略の象徴として扱われています。


    (後略:全文は『環』10号に掲載)