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石牟礼道子全集・不知火 第10巻

食べごしらえおままごと ほか
 エッセイ 1981-1987

解説・永 六輔
A5上製貼函入布クロス装 640頁 8925円
(第9回配本/2006年1月刊行)
◇4-89434-496-3


 「美食を言いたてるものではないと思う。考えてみると、人間ほどの悪食はいない。食生活にかぎらず、文化というものは、野蛮さの仮面にすぎないことも多くある。だからわたしは宮沢賢治の、『一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ』というのを理想としたい。もっとも米は一合半にして、野菜と海藻とチリメンジャコを少し加える。食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように。」

(本文より)

【藤原書店PR誌『機』2006年1月号より】

「ひとりで食べてもつまらない」

永六輔+石牟礼道子

ひとりで食べるむなしさ
 実は、ぼく、包丁持つんです、うまいのですが、しかし女房を看取ってひとりになってみて、こんなに料理がつまらなくなっちゃったかと痛感しているんです。
 自分で買ってきて、自分で作って、自分で食べますでしょう。これがおいしくない。絶対おいしいはずなのに、おいしくない。やはりひとりというのは。だれかと食べるか、だれかに食べさせるか……。食べさせた人がおいしいと言ってくれたら、どれだけそれがこちらに返ってくるか。そういう環境がなくなっちゃうと、ほんとに食生活は落ちますね。
石牟礼 はい、よくわかります。
 食べるということに、もう一度、どう立ち向かえばよいのか。昔はただ、おいしいものを食べれば、それでよかった。おいしく作れたらうれしかった。それが一切ない。だから味覚も落ちます。
 実際、年取ると、複雑な味がだんだんわからなくなる。年取ると甘いものも好きになりますよね。そうすると、甘いのと塩っからいのしか頼りにならなくなっちゃう。ある時期まで、おいしいということはこういうことなんだという自覚もあったし、人にもすすめたりしてきましたが、最近、それができないんですよ。ふっと思い出すと、ほんとにおいしいのかなと。そこがとてもつらいところですね。

仲間と食べるという贅沢
 しかし今回、この本を読ませていただいて、うまいんだろうな、おいしいだろうな、活気があるんだろうな、楽しいんだろうなというのをとっても感じました。ひとりでごそごそ食べている場面がない。親戚や家族や近所の人が寄り集まって食べている場面ばかり。そこがうらやましい。実生活でもそういうのがなくなってますものね。
石牟礼 ここでは会議というか、少人数で研究会の真似事のようなのをしますけれど、夜食を作ってくださる方がいらっしゃって、それで男の人たちも焼酎を飲んだりして、そういう会食になると、男の人たちもみんなうれしそうですね。
 やはり仲間で食べるというのは、うれしいですものね。
石牟礼 おひとりだとつまらない。
 ほんとつまらない。食事というより餌です。やっぱり料理というのは料理だけじゃなくて、買物に行く、準備をする、下ごしらえをする、料理に取りかかる、盛りつける、食べる。そこまでは保つんですが、その最後の後片づけというのが、もうだめです。家に帰ると、後片づけしなきゃいけない器が、うわーっと山のように積んであるから、ますますだめなんですよね。結果的にその上にまた積んじゃって……。
 熊本まで愚痴を言いに来たんじゃないんですけれど(笑)、この本に書かれている場面があんまり楽しそうなので。そう言ったらいけないけれど、とても贅沢じゃないですか。フランスのワインが出てくるとか、どこどこのチーズが出てくるんじゃなくて、ほんとにそこにある、取ってくる、摘んでくる、釣ってくるという料理だけ。そこがうらやましい。
 石牟礼さんの本だから、ただの料理の本ではないという覚悟はしてましたけれど、おもしろかったです。それでいて料理の本ということもいつの間にか忘れてしまって。気持ちのいい短篇小説を続けざまに読ませていただいた感じです。
石牟礼 どうもありがとうございます。「怨む」とかは書いてないでしょう(笑)。(構成・編集部)
(えい・ろくすけ/タレント)
(いしむれ・みちこ/作家)
※全文は『石牟礼道子全集・不知火』第10巻に掲載