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| 【藤原書店PR誌『機』2004年9月号より】
〈座談会〉後藤新平とは何者か 今日も問題となっている医療・交通・通信・メディア・教育・都市計画等の内政から、欧米先進国との外交及び植民地政策に至るまで、今から百年以上も前に、百年先を見据えた独自な構想と政策を次々に打ち出した後藤新平。その全体像を現代に甦らせる〈後藤新平の全仕事〉プロジェクト始動を前に、第一線の執筆陣による『時代の先覚者・後藤新平』を刊行する。同書より、人間・後藤新平の核心に迫る座談会を抄録する。 後藤新平の「衛生」概念 鶴見 衛生をとってみましょう。衛生は村全体、県全体が巻き込まれてしまう。ずっと日本は鎖国しているわけだから、外国からコレラとか何とか来ると、大変なことになるわけだ。大体、江戸末期から。これに立ち向かうのは衛生でしょう。衛生から見ると、もう賊軍、官軍はないんだ。だから後藤新平がたまたま手にして、これと思って力石みたいにずっと支えた衛生。著作のタイトルには国家と冠がつくけれども(『国家衛生原理』)、それは賊軍、官軍の区別を超えたところに根がありますよ――偶然安場保和(後藤の岳父)が出てきたために超えられたんだけど。つまり国家社会じゃない、社会なんです。衛生というのは言いかえればパブリック(公共)ということですよ。パブリックだという考え方は、精神分析的に言えば、やはり賊軍としての出生と文無しの乞食の少年だったという経験と結びついて出てきていると思う。それが偶然、児玉源太郎が登用してくれたことで、検疫の長になるわけでしょう。そこで活かされて、台湾でも、となってくるわけね。だから賊軍、官軍の区別を超える体験が幼いころにあって、そこに全生涯の根があった。エリクソンのように『若きルーテル』とか、『ガンジーの真理』とかいうふうな仕方で後藤新平に精神分析の目を向ければ、そこのところに衛生の概念が非常に強く、医学を超えて社会に政策として出ていく可能性があった。 公共というのは、その政策は主として国家が担う。だけど国家に任せると、そこで長になった人たちは自分の立場、利益でやるからすき間ができてくる。だからパブリックという考え方に合わないわけでしょう。 青山 国家が人材を育てるといっても、その場合の基準が問題だと思うんですよ。それから国家をだれが構成しているか。国家意思をだれが形成しているか。後藤新平みたいに無私の思想を持った人で構成しているならいいけれども、国家権力の機構の一環にあるという地位にしがみついている人で国家の意思が構成されるのだと、人材は育成できない。その場合には、やはり国家権力は常に悪であり、常に対抗勢力が必要なんだという民主主義の原理を貫かないといけないので、だから社会が人材を育てるんだということになると思います。 慣習を尊重した後藤新平 粕谷 衛生とはパブリックのことだという鶴見さんのおっしゃるのは非常に示唆的だと思うけど、ただもう一つ、先ほどの自治ということで考えれば、後藤新平は慣習法を重んじたでしょう。自然村的な秩序の中に生きている慣習を調査しろということをしょっちゅう言っている。満韓でも、白鳥庫吉とか津田左右吉に調査をさせて、自然村的な都市や農村の秩序がどうつくられているのか、慣習はどうなのかということを、盛んに調査する。だから、後藤の自治というのは、内務官僚が考えている自治ではなくて、後藤のそれこそ生物学的原則までいくものなのではないか。 御厨 民衆の視点ですね。民衆がとけこんでいる自然的秩序の調査ということになりますね。 粕谷 歴史的に言えば、天皇制以前の氏族社会から慣習があるから。 青山 後藤新平が児玉源太郎に請われて台湾に行ったときに、真っ先にしたのが、台湾総督府の中で法律の専門家が非常に多かったので、それを日本に帰してしまった。そのかわり土木とか農業、工業、建築とかの学問を修めた人間を引っ張ってきたわけです。その当時、下関に船で続々と法律職が上陸したという話が残っていますね。それぐらいに人を取り替えたのは、やはり彼の自治というのは生物学の法則で、台湾に合った行政をやると、政策をやるためには制度で考えないで、その土地に合った実質で考える。その意味で言うと、現代の日本の地方自治も、「三位一体の改革」だとか制度論を語る人は大勢いるし、語る場も公的に税金で運営されている場がたくさんありますけれども、本当はむしろ政府が縛るのを全部やめてしまって、地域で自主的にやりなさいということをやればいい。政策を議論すべきなのに依然として制度論で語っているのがいまの日本の自治についてのやり方なんです。その意味で、後藤新平がやったやり方は非常に実際的で現実的だったと言えると思います。 パトロン型政治の面白さ 鶴見 彼は、非常に優れた軍人のバックを得ていますよ。それは児玉源太郎であり、山本権兵衛、寺内正毅でしょう。軍人で偉いやつは確かに偉いんですよ。偉くないやつは、偉くない。だから偉くないやつとはとっくみあいのけんかをして、台湾ではじめに辞表を出しますね。 御厨 それはおもしろいと思います。おそらく後藤新平の政治は、パトロン型のプロジェクト政治ですね。絶対的なパトロンが必要です。そのパトロンを彼は本当にうまく見つけたわけで、児玉、桂、寺内というのは、これはもう長州閥の中でも一番の立て役者に他なりません。 鶴見 桂は重要でしょう。 御厨 そうなんです。この三人に彼が重用されたということの意味は、かなり大きいと思います。今申し上げたパトロン型のプロジェクト政治でやっていこうとすると、どうしても政党政治とは相容れないものが本質的にそこに含まれています。一つには、彼のプロジェクトが息が長いということ、それからもう一つは――これはときどき僕も書いていますけれども――都市計画とか植民地政策は、根本的にどうしてもデモクラシーと合わないわけです。公の精神でも何でもいいんですけれども、それを体現したある巨大な力が、住んでいる人間や物をある種強制的に動かして、それで道路をつくります。でもそこには必ず利害対立がありますから、賛成・反対入り乱れての人間模様が展開されることになります。ですからそこはすごく興味深い論点を形作ります。一方で原敬は政党政治の枠組の中で非常にミクロな利益を体現していきます。これに対して後藤新平の場合はむしろそれを否定し、先ほど粕谷さんが言われたように、非常にマクロな視野から文明の利益みたいなものを体現していくのですね。ですから地方利益と文明利益というのは対比されるところがあって、その場合の文明というのは絶対に政党政治の枠組の中には入らないんですね。 大正期の政治は、議会制と政党政治の枠組を前提にして、すべてが組織化され制度化されていく特質をもっています。後藤の場合、そういうものに対する本能的対抗意識がありました。だからこその「政治の倫理化」ですよね。そして晩年に「今日流の政党制の政治ではなく」と彼が言うときの本音は、組織化されたもの、制度化されたものはもうその時点でだめになっているという否定的評価に立っているわけです。既成のものに寄りそうのではなく、制度や組織はある公の精神に則ったプロジェクトに合うように変えていくべきだという、かなりラディカルな発想になっています。そうでなければすべてが陳腐化するという切迫した感じが、彼にはあったと思うんです。当時の大正デモクラシー期の政治に対する、彼なりのアンチテーゼというか、制度化されないもの、組織化されないものを目指して、絶えず流動化していく面があったのではないでしょうか。(構成・編集部) (つるみ・しゅんすけ/哲学者)
(あおやま・やすし/元東京都副知事) (かすや・かずき/編集者) (みくりや・たかし/東京大学教授) ※全文は『時代の先覚者・後藤新平』に掲載 |