2019年07月19日

金時鐘コレクション

【本コレクションについて】

編集委員 = 細見和之 宇野田尚哉 浅見洋子

 金時鐘の詩を総覧できるものとしては、『集成詩集 原野の詩』(立風書房/1991年11月)がある。しかし、『原野の詩』が刊行されてから30年近くが経ち、その間に新たな詩集が刊行された。詩集に未収録のまま散在する詩編も数多く存在する。また評論・講演などの散文作品については、それぞれの単行本や収録紙誌に拠るほかない。

 このたびのコレクションは、なお一層活躍する金時鐘の現在までの著作群をなるたけ網羅し、詩・評論・講演に大別して編纂したものである。詩集の各巻には、時期ごとの詩集未収録作品及び、著者へのインタビューを収録した。20世紀・21世紀の激動の時代を生き抜いた在日朝鮮人の珠玉の言葉が、広く読者に届けられることを願う。

 

『金時鐘コレクション』を推薦する

骨身にしみる体化  高銀(詩人)

 金時鐘は、亡命を運命として完成した。私たちはこのような金時鐘の波瀾万丈を経て、東北アジアの半島と列島でかかっている現代詩の激闘に出会う。

 彼はあの北朝鮮元山で生まれた。だが一九四五年以降、朝鮮半島南端の済州島四・三事件の山野で青年革命家となる。彼は日本に亡命する身の上となり、在日の桎梏の中から、銃を持った手で筆をとり、詩の全生涯を開く。この点で金時鐘の魂と方法は、骨身にしみる体化の典範として、われらが精神史の中に座をしめているのだ。ここに金時鐘の業績がまとめられることを心から祝う。

背丈の低い詩  鶴見俊輔(哲学者)

 「こごめた過去の背丈よりも低く」(「風」『光州詩片』所収)

 この一行がすばらしい。背伸びしてものすごい背丈の高い詩人として詩を書くということではなく、自分がこうやって屈服したときの背丈よりももっと低い詩を書きたいという、そういう理想が詩を支えていくと思う。*生前に戴きました

キムシジョンシノヨルノミチ 吉増剛造(詩人)

文学的意志の力   金石範(作家)

 金時鐘の散文の文体は肉体化された精神――思想の表現である。それが彼の抒情性、センチメンタリズムを排した弾力を持った鋼鉄の響きがする硬質の文体に、情感がこもる所以である。

 金時鐘の情感と一体の散文は、絶えざる自己否定の肯定の上に築かれた文学的意志の力の産出である。

批判の鏡  辻井喬(詩人・作家)

 金時鐘の作品について無言にならざるを得ない何かの、しかし多分根本的な欠落が、我が国の現代詩の風土にある。

 金時鐘の作品は、全力をあげて我が国の近代、現代とそのなかに自足している詩の世界を告発している。主体を安全な場所へ逃避させておいて、知的操作やレトリックを楽しむ宗匠たちが多過ぎるのではないか。金時鐘が行っている近代、現代に対する告発とは、そのような具体性を私たちに突き付ける、批判の鏡のように、私には思われる。*生前に戴きました

金時鐘の「表現」   佐伯一麦(作家)

 金時鐘さんの訥々とした朝鮮訛りの日本語は、東北出身者にとって親しみを帯びた響きがある。だが、語られるのは、あくまでも厳しいリアリズムの精神に裏打ちされた言葉。例えば、しいたげられる者の側にもエゴイズムがある、と金さんは語る。それは、アスベスト禍、東日本大震災を経験した身にとっても、直視しなければならない現実であり、自戒である。〈あなたは、他人/も一人の/ぼく。〉その詩は、分身としての私への示唆に富む。

垂直的詩人  四方田犬彦(映画史・比較文学研究)

 26歳の金時鐘は、日本語で書きつける。

 「私が啞蟬のいかりを知るまでに/百年もかかったような気がする。」

 発語の機会を奪われた蟬とは誰か。発語を強いられた蟬とは誰か。そして誰が金時鐘にこの蟬の存在を教えたのか。

 この垂直的詩人がわたしたちに語ってやまないのは、外国語と母国語の差異ではない。言語とはいかなる場合にも、つねに他者の言語であるという真理である。

二十一世紀の東アジアの「地平」   鵜飼哲(フランス思想/一橋大学教授)  

 詩人、思想家、教師、翻訳家として、金時鐘が七〇年にわたって紡いだ言葉にはどれも、若さの底に曙光の優しさがある、第一詩集の自序に、「自分だけの朝を/おまえは欲してはならない」と記した人の優しさが。歴史の停滞と反復にあらがい、朝鮮と日本の関係性の根底的な更生に賭けるこれらの言葉はいま、新しい読者を呼び求めている。金時鐘の詩と思想は、二十一世紀の東アジアの「地平」である。「ま新しい夜」は、私たちの前方にある。

朝日新聞で「(語る人生の贈りもの)金時鐘」の連載が始まりました

2019年7月17日から、朝日新聞で金時鐘さんのインタビュー記事「(語る人生の贈りもの)金時鐘」の連載が開始されました。本年90歳になられた金時鐘さんが、激動の人生をご自身の言葉で回顧されています。

連載 第一回