文人、森繁久彌 。(1913-2009)
演劇・映画・ラジオ・テレビのみならず、作詞もし、歌をうたい、そして自ら筆をとって多くの随筆を書き、 23 冊もの本を遺した森繁さん。人生のにがさ、人間のやさしさを語りかける珠玉の作品群を集成!
【本コレクションの特長】
◇多忙な俳優業のかたわら、自ら筆をとって書かれた珠玉の 随筆を精選し、できるだけ網羅した。
◇著者のこれまでの単行本から、あらためてテーマ別に構成し直し、著者の執筆活動の全体像とその展開を、わかりやすく示す。
◇各巻のテーマにふさわしい解説を附し、著者の仕事を、来たるべき読者に向けて新鮮な視点から紹介する。
発刊に寄せて
昭和三十二(一九五七)年、父が『週刊読売』に連載した随筆が単行本『こじき袋』として世に出た事から、父の執筆活動が始まりました。
思った以上に評判が良かったと思ったのか、三冊目には『森繁自伝』を出版しました。自伝を書くには少々早いような気がする五十歳の時でした。
以来、八十九歳まで毎年のように随筆集を出版し続け、実に二十三冊となりました。しかしその殆んどが絶版となりいささか寂しい思いをしておりましたところ、藤原社長とご縁が出来、是非何とか残そうではないかとのお話を頂きました。
大変有難く、三年ほど前から分類・編纂等のお手伝いをさせて頂きましたが、ようやく父没後十年という節目に出版する運びとなり、感激も一入であります。
父の「今更もういいよ」と言う声が聞こえてきそうですが、寸暇にペンを走らせた父の心情を少しでもお汲み取り頂けましたら、本人も望外の喜びであろうと思います。
森繁建(息子)
全著作〈森繁久彌コレクション〉の構成
全著作〈森繁久彌コレクション〉を推す
石原慎太郎(作家) 「ヨットの思い出」
天下の名優、天下の才人、森繁久彌を海に誘い百フィートの大型ヨットまでを作り、果ては三浦半島の佐島にヨットハーバーまで作らせたのはかく言う私で、後々にも彼の絶妙な色談義を交えたヨット談義を堪能させられた。森繁さんの海に関する物語は絶品の本にもなるだろうに。
黒柳徹子(女優・ユニセフ親善大使) 「森繁久彌さんのこと」
森繁久彌さんは、面白い人だった。この本を読むかぎり、相当のインテリだけど、私に会うたびに「ねえ! 一回どう?」と最後までささやいて下さった。何歳になっても、ウィットのある方だった。セリフのうまさは抜群で、私は長ゼリフなど森繁さんから習ったと思ってる。カンニングしながらでも、その人物になりきっている森繁さんに、ちっとも嘘はなくセリフは真実だった。そして何より、森繁さんは詩人だった。もっと長く生きてほしかった。
松本白鸚(歌舞伎俳優) 〝森繁節〟が聞こえる
「この人は、いまに天下とるよ」。ラジオから流れる森繁さんの朗読を聞きながら、播磨屋の祖父(初代中村吉右衛門)がポツンと言いました。子どもだった私が、森繁さんを知った瞬間です。祖父の予言どおり、森繁さんはその後、大活躍をされ、日本を代表する俳優の一人となられました。
『勧進帳』をこよなく愛し、七代目幸四郎の祖父、父、私と、三代の弁慶をご覧になり、私の楽屋で、勧進帳の読み上げを朗々と披露してくださいました。それはまさに祖父の弁慶の科白廻しそのままでした。
本書には、多才で教養に充ち、魅力溢れる森繁さんの「人となり」が詰まっていて、読んでいると、在りし日の「森繁節」が聞こえてくるような気さえします。
加藤登紀子(歌手) 森繁さんと再会できる
私にとって運命の人、森繁さん。満州から佐世保に引き揚げた日がわが家と森繁家は数日しか違わない! そう解ったのは「森繁自伝」でした。森繁さんの声が聞こえて来そうな名調子に魅せられて、何度も読みました。
「知床旅情」が生まれた映画「地の涯に生きるもの」と「屋根の上のヴァイオリン弾き」という貴重な足跡からも、他の誰にもない熱情を受け止めてきました。没後十年で「森繁久彌の全仕事」が実現。もう一度じっくりと、森繁さんと再会できる! 本当に嬉しいです。
山田洋次(映画監督) 天才
演じても歌っても描いても語っても、
何をしても一流だった。
こういう人を天才というのだろうが、そんな言い方をされるのを
死ぬほど嫌がる人でもあった。