2018年09月06日

「海道東征」とは何か

6/3産経新聞 【杉原志啓氏】

 新保祐司の著作がおよそ一色というより一途な気概に彩られていることはよく知られているところだろう。また、このところかれがあの「海ゆかば」から必然的にたどり着いたという同じ作曲家・信時潔の「海道東征」に入れ込んでいることも。
 原理主義の匂いさえ感得させられるその純粋な気概が、この新刊にもみなぎっている。いまなぜ「海道東征」なのか、かれはいう。日本民族の叙事詩としてつづられ、うたわれ、かつ奏でられたこの「神武東征の物語」は、日本人にとって歴史の「始原」であり、現在と「歴史」への覚醒に結びついている。よってその「始原」が日本人の心にいきいきと浮かんでこなければならないだろうし、まさにそのためにいまこそ「海道東征」を聴かなければならないのである。
 さらに、いままさに「戦勝国が拵えた国際秩序が『世直し』的な激変を迎えようとしている。国際主義から国民主義へと時代思潮は回帰しつつある。この濁流の中で日本が流されてしまわないためには、日本人の精神に心棒が貫かれていなければならない」。すなわち、「海道東征」が、国民必聴の楽曲となるべきなのは、この精神の「心棒」が形成される経験を与えてくれる音楽だからというわけだ。
 しかも、いま、「海道東征」を聴くことは、音楽鑑賞といった暢気なものではなく、精神史の文脈において鑑賞され、理解されなければならないと著者は言う。この交声曲は、たとえば明治以来キリスト教を血肉化した人間が内村鑑三唯一人であったごとく、「西洋化音楽を血肉化」した音楽として唯一日本人の魂をうたうことができた、ほとんど唯一のものだからである。歴史の転換期にひと筋の光芒のごとく浮かび上がり、後世を不断に導いていくものであればよいというのである。
 わたしを含む西洋音楽にどっぷり浸り続けてきた戦後のアメリカンな日本人をハッとさせる、そして様々な気づきを誘発させるだろう本書も、この著者ならではの一途で純粋な思いが炸裂する快著となっている。