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【書評・紹介】 |
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●目 次●
序 章 ニュー・エコノミー研究の意義
第1章 ニュー・エコノミーという問題 ――1990年代の米国経済と経済理論
第2章 ニュー・エコノミーのミクロ分析――市場の不安定性と組織の多様性
第3章 ニュー・エコノミーのマクロ分析――情報通信技術のみで説明できない経済成長
第4章 ニュー・エコノミーの系譜――危機脱出のための米国経済政策と経済理論 第5章 ニュー・エコノミーの国際比較 ――米国モデルは唯一のモデルではない 第6章 ニュー・エコノミーの崩壊譜 ――IT神話と金融バブル 第7章 ニュー・エコノミーとは何だったのか ――技術と経済の歴史分析 第8章 21世紀の経済成長はいかにあり得るか ――人間主導型成長モデル 結 論 長く続く未来 |
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【藤原書店PR誌『機』2007年6月号より】
●情報通信革命と経済・金融の真のつながりを明かす! IT神話と金融バブル ロベール・ボワイエ
金融市場のパラドクス 本書の根本的なメッセージのひとつは、つぎのようなパラドクスに関わっている。すなわち、合理的な企業家や金融家の戦略と株主価値の最大化の戦略にしたがっている時代において、金融業界と投資家がとる行動は、実際には盲目的な信頼や他者を模倣する傾向によって支配されている。実際、株式市場における急上昇は、絶対的な信頼性を持っていたので、多くの人びとは、マクロ経済的な制約にも、長期にわたって確立された経営管理の諸原則にももはや注意を払わなくなったのである。ニュー・エコノミーがかれらおよび同時代人にとってまったく新しい現象であると確信していた人びとは、長期の傾向や国際的な歴史に対して何の関心も持っていなかった。金融の短期的な見方は、技術革新の長期的な見方とは異なる。アナリストたちはニュー・エコノミーをもっと大きな枠組みや状況のなかに位置づけることに単に失敗したというのが、現実である。 シリコンバレーよりウォール街 アナリストたちが情報技術に付与した重要性は過大すぎた、ということは十分ありうる。回顧的に言えば、金融経済化現象の方がおそらくはるかに大きな影響を与えている。この現象こそ大半の制度諸形態に関わっているし、情報通信技術以上に、アメリカの成長体制の枠組を決定づけているからである。株式市場の上昇を背景にして、1999年にはアメリカの家計貯蓄率がマイナスに転じてしまうまでにアメリカの家計は消費指向を強めた。上場企業は株主価値を尊重するよう余儀なくされ、金融収益の安定さらにはその持続的な上昇、そして資本の節約が追求されることになった。かくして中央銀行は、インフレを抑制し、景気全体を安定させるという目標に加えて、金融システム全体の安定性を維持する必要が生じた。最後に、ウォール街は世界レベルの金融を媒介する役割を有しているので、直接投資にせよ、間接投資にせよ世界中からの資本流入を招き、アメリカの巨大な貿易赤字を相殺している。技術イノベーションと金融のズレ だが、こうした金融の柔軟性はその見返りとして投機の熱狂を生み出す。実際、90年代のエピソードは、経済史においてよく知られていたモデルの再実現を意味している。すなわち革新的なイノベーション、しかも経済活動や社会の階層に関わるほとんどすべての構成要因を変化させるようなイノベーションの出現にともなって、金融バブルが発生するというエピソードである。注目すべきことに、すべてが将来展望と合理的な計算に向かっている時期において、大半の公的あるいは私的な経済主体は、このような技術イノベーションと金融の相互作用に関する重大な歴史的教訓を忘れてしまっているのである。あらゆる投機的バブルはついには必ず崩壊するが、生産的、社会的、政治的な構造変化の時間は、金融市場の格付けの時間と同一ではないのである。極端な自由主義者の期待に反して、現代の経営者たちは競争経済への復帰を目指していない。誕生しつつあるのはまったく別のレギュラシオン様式であって、しかも、その先行様式であるフォード主義よりもはるかに複雑にして、相互依存的である。ニュー・エコノミーというレトリックは、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本という異なる軌道を生み出した諸変化の絡み合いを説明すべく登場した――単純ではあるが間違った――解釈である。 (Robert BOYER/CEPREMAP教授)
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