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司馬遼太郎『坂の上の雲』が描けなかった歴史。

歴史の共有体としての東アジア


崔文衡・子安宣邦
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韓国の“開国”の歴史を描けなかった韓国の民衆抗争史と歴史教科書。韓国併合という日露戦争の帰結を描けなかった司馬遼太郎『坂の上の雲』。近現代における日本と朝鮮半島の関係を決定づけた「日露戦争」を中心に、「一国化した歴史」が見損なった歴史の盲点を衝く! 日韓の同世代の碩学が次世代に伝える渾身の「対話=歴史」。

四六上製 296頁 3360円
◇978-4-89434-576-8 2007年6月刊)

【書評・紹介】

●目 次●

序論 東アジア・歴史の共有に向けて
――日韓関係を通じて考える……子安宣邦


T ナショナリズム・日韓関係・東アジア
――自己表象と他者認識の病理

 1 日本ナショナリズムの解読……子安宣邦
 2 漢字論から見た東アジア……子安宣邦
 3 「韓」の痕跡と「日本」の成立
――日韓関係の過去と現在……子安宣邦

 4 歴史の共有体としての東アジア
――東アジア共同体をめぐって……子安宣邦



U 日韓・東アジア近代史の共有
――「歴史」の一国化を超えて

 5 百年前の東アジア、現在の東アジア
――国際関係から見た日露戦争と韓国併合……崔文衡

 6 閔妃暗殺とは何か――日露戦争の序曲……崔文衡
 7 「閔妃問題」とは何か――角田房子『閔妃暗殺』

 8 日露戦争と日本の独島(竹島)先取……崔文衡
 9 韓国「開国」の歴史――韓国歴史教科書の問題
……崔文衡

 10 自国の歴史を世界史の中で捉える……崔文衡
 

【藤原書店PR誌『機』2007年6月号より】

●世界史の中に東アジアを位置づける日韓の思想家・歴史家による「対話=歴史」。

東アジア・歴史の共有に向けて
子安宣邦

アジアにおける世界史

 日露戦争は日本人につねに一国的栄光の歴史として回顧されてきました。それが日韓併合を帰結するような、韓国と満州をつつみこんだアジアにおける世界戦争であったことを、十分な説得性をもって私たちに教えたのは崔文衡氏の著書〔『日露戦争の世界史』小社刊〕でした。
 崔氏は日露戦争をあくまで韓国から、韓国研究者として見ているのです。しかし、直ちに人は韓国から日露戦争を見るわけではありません。韓国のナショナリズムは日露戦争を自分たちの歴史から消してしまうのです。それは日本のナショナリズムが日露戦争に韓国問題を見ないことに対応することです。
 では歴史家崔文衡は韓国からの視点を堅持しつつ、どのようにして日露戦争を歴史認識と記述の対象としえたのでしょうか。歴史を一国化するナショナリズムが歴史的事実を隠し、歴史記述を曲げてしまうものであることへの批判が、歴史家としてまずなされねばならなかったでしょう。まさしくそれは本書における崔氏の教科書問題をめぐる発言の主要部をなすものです。しかしこの批判は、韓国のナショナルな立場からのきびしい非難と反撃に合わざるをえません。それは日本首相の靖国参拝を戦争の記憶の日本一国化だとして批判する私に、日本のナショナルな立場からの攻撃があることに逆対応するといえます。韓国における崔氏の立場には、日本における私の立場よりもさらにきびしいものがあるでしょう。しかし崔氏は、氏の歴史認識がもたらす事実によって反駁します。だれがもっとも正しく韓国の悲劇という歴史事実を認識したのかと。
 歴史を一国化しようとするナショナリズムが、決して自国の悲劇を正しく認識するものではないとする崔氏は、アジアにおける世界史のなかで自国の運命を読もうとします。アジアにおける世界史とは、アジアという歴史的舞台における世界史ということです。アジアにおける歴史認識の共有を求めるものにとって、ここには沢山の大事な示唆があります。ことに日本の研究者は、この韓国の内側から発せられた歴史記述をめぐる批判を、同時に己れにも向けられたものとして反復反芻して考える必要があります。

同志たちの大きな一歩

 2005年1月に開かれた講演とシンポジウムの終了後、私は崔氏との短い対話の機会をもちました。それはわずか数分の対話でしたが、私はすぐに氏を古くからの友人のように思いました。氏もまたそう思ったのです。それから私たちはソウルで、あるいは東京で何度か会い、飲み、しゃべりながら近現代史の認識を相互に補い、深め合ってきました。不思議な出会いでした。崔氏の韓国の歴史家としての仕事を、日本の友人として私はいっそう深く理解できるようになったと思います。崔文衡も私も同年輩です。つまり20世紀のアジアをともに70年にわたって生きてきたもの同士だということです。私たちは20世紀を生きてきたもの同士として、お互いをいま発言すべき同志として直ちに認め合ったということなのかもしれません。
 韓国と日本からそれぞれの20世紀の生を歩みながら私たちが友情を成立させたように、本書が東アジアにおける歴史の共有に向けての大きな一歩になることを私たちは心から願っています。
 
(こやす・のぶくに/日本政治思想)