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戦時中のハルビンの美しき追憶を語り下ろす

ハルビンの詩がきこえる 



加藤淑子・著 加藤登紀子・編
Now Printing

  満州の歴史とは、実は女たちの物語なのである。満州建国を夢見たのは男たちであったが、その夢破れたのちのあとかたづけはすべて女たちがやった。その一つの証言をここに見る思いがする。加藤登紀子も私も、阿修羅のごとく戦った母によって守られ、日本に流れついた命なのだということをあらためて痛感する。(なかにし礼氏)

A5変上製 264頁 2520円
(2006年7月刊)
◇4-89434-530-7

【藤原書店PR誌『機』2006年8月号より】

ロシア人の街、ハルビン
加藤登紀子


ハルビンに「帰ってきた」
 ハルビン生まれの私が、ハルビンと再会したのは1981年夏。
 ハルビン音楽祭にはじめて日本人歌手として招かれた時であった。
 北京から汽車に乗って、錦州、瀋陽(元の奉天)、長春(元の新京)をたどり、ハルビン駅に着いたのは、夕陽が空いっぱいを真っ赤に染めている夕暮れ。
 ホームに降り立つとむこうから迎えの人たちが花束を持って走ってきた。
ここまでの道のりは、私が二歳八カ月で引き揚げたのと同じ道、途中の駅で停車した時、私たちが乗ったはずの大きな無蓋貨車にも出逢った。
 「帰ってきたんだ!!」

ロシア料理店「スンガリー」
 中学の時、中ソ対立の激化のために中国から日本へたくさんのロシア系の人たちが引き揚げたのを受けて、父と母がロシア料理店「スンガリー」を開いた。
 片言の日本語で話すリューバやガリーナ、エリカ、そして、日本人と結婚し、離婚もしていたコックのおばちゃんクセーニアなど、そこはロシア人の街だったハルビンがそのまま再現されたような楽しい場所になった。
 閉店近くになるといろんなロシア人が集まり、ウォトカを飲んで必ず大合唱になる。そんな時、父は自慢ののどを聞かせ、やんやの拍手を受けるのであった。
 もし、ロシア料理店「スンガリー」がなかったら、私にとってハルビンは遠い過去で終わっていたと思う。そして歌うことにこれほど深い想いを抱くことはなかったかもしれない。
 「スンガリー」が私の心に残したものは、故郷をはなれて生きる人たちの熱い心であった。
 守ってくれる国もなく、生まれ育った故郷とのつながりもなく、ただ音楽だけが深い絆であることを彼らは知っている。
 生きていくことは、同胞を愛することであり、いのちを抱きしめることであり、おいしいものを食べ、楽しく酒を飲み、歌い踊ることだと……。

ていねいな暮らし方
 今回、この本を書くことを決心し、三百枚に及ぶ原稿を自分自身で書いた母。
 その記憶の確かさ、何ごとにもそのディテールまで見届けている観察力の鋭さに驚いた。
 偶然とはいえ、移り住むたびに違った生活スタイルを持ったロシア人たちと出逢い、それぞれが自分の暮らし方に大いなる誇りを持っていることに感激し、懸命に記憶した母。
 そこに浮かび上がってくるシーンのひとつひとつが、自分たちの手で暮らしを創り出すよろこびと豊かさをあざやかに伝えてくれている。
 今、私たちには失われてしまった、そうした『ていねいな暮らし方』に、私はうっとりするようなあこがれの気持ちを抱いた。
 本来なら、自分のアイデンティティさえ危うくなる異郷の地で、どこかの国が戦争をし、その街の権力がどんなふうに変わっていっても、『自分の暮らしを守る』、そのことに微塵の迷いもない。
 さまざまな歴史にゆさぶられたロシア人であり、ユダヤ人であり、中国人であるからこそ、国の力や権力の力よりも、ひとりの人としての実力を頼りに生きている。そのことに母は何より大切な人間としての尊厳を感じたのである。
 戦争に敗けた日本人のひとりとして、混乱の地で三人の子供を無事に生きのびさせるのは大変なことであったに違いないけれど、そのことからも母はたくさんのことを学んだ。
 「生きることはいつも、あしたにむかって歩くこと、素晴らしい今日を生きること」。(抄)
(かとう・ときこ/歌手)