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世界的ベストセラー、遂に完訳!

わたしの名は紅


オルハン・パムク 和久井路子訳

Now Printing

 西洋の影が差し始めた十六世紀末オスマントルコ――謎の連続殺人に巻き込まれ、宗教・絵画の根本を問われたイスラムの絵師たちの動揺、そしてその究極の選択とは。


 四六変上製
 632頁 3885円
(2004年11月刊)
◇4-89434-409-2


《関連書》




【書評・紹介】
  • 5/15 毎日新聞 「今週の本棚」欄
  • 1/31 本の雑誌 2月号 「新刊めったくたガイド」欄
  • 1/9 日本経済新聞 「あとがきのあと」欄
  • 12/27 毎日新聞
  • 12/9 東京新聞 「書物の森を散歩する」欄


  • 【藤原書店PR誌『機』2004年11月号より】

    「東方に輝く星現れる!」

     2001年9月11日事件の数日前の『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評欄は、現代トルコ文学の第一人者オルハン・パムクの『わたしの名は紅』(1998)の英訳版に大きな紙面を割いていた。これは著者の英訳された四冊目の本で、同紙の書評欄はそれまでも常に彼の作品に関心と賛辞を呈していた。この本は十六世紀末のイスタンブルの細密画師の世界を扱っていたが、その中に記されたイスラム原理主義者の動静、文明間の衝突と共存、イスラムの役割などが、9・11テロ事件後に、特別の意義を持ってくるとは知るすべもなかった。

    十六世紀末のイスタンブル
     舞台は1591年の冬、オスマン・トルコ帝国の都イスタンブルでの雪の九日間の出来事である。帝国は十六世紀前半に政治的にも、経済的にも、文化的にも最高の円熟期に達したあとで、色々な面でそろそろ問題が出てき始めた時期である。政治的な腐敗、長く続く泥沼化した戦争、物価高、インフレに悩む市民、疫病の流行、大火、退廃的な風潮、乱れた世相と、これら全ての悪の根源は預言者の言葉にそむいたためであり、葡萄酒の売買を許したためであり、宗教に音楽を取り入れたためであり、異教徒に寛大であったためであったといって、この機会を利用して市民の間に入り込み,広がりつつあるイスラム原理主義者の動きがある。敗北を知らなかったトルコ軍はこの少し前、レパントの海戦(1571)でヴェネツィア共和国とスペイン王国のキリスト教連合艦隊に初めて敗北を喫して、西洋の力に対する畏れを身をもって感じ始めた時期でもある。この時期はまたトルコの細密画の技術が、その庇護者十二代スルタン・ムラト三世の下で本家のペルシアの芸術を凌駕する域に達した時代でもある。
     時のスルタン、ムラト三世は翌年がイスラム暦の一千年目に当たるところから、その在位と帝国の偉容を誇示するための祝賀本の作成を秘かに命じる。元高官で細密画がわかるエニシテが監督するが、彼はかつてヴェネツィアで見た遠近法や陰影,肖像画などの手法を取り込むことをもくろむ。西洋画の技法で細密画を描くこと、特に肖像画はアラーの神への冒 行為と考えられる時代である。物語はやがて殺人事件に発展していく。事件はイスタンブルで起こるが、細密画にまつわる歴史的解説は、アレキサンダー、ダリウス、ジンギスカンの蒙古、フラグの西アジア、チムールの中央アジア、コーカサス、古代ペルシア、ササン朝ペルシア、インドにまで及ぶ広大な展開を示す。
    この本は、その中で西の文明に対比するものとしてイスラムの概念がでてくるが、イスラム原理主義者の西の影響をよせつけようとしない暴力と独断を、強く糾弾する書である。進歩的なモスレムの知識人たちと共に、著者はこういう野蛮と独断がイスラムを内から破壊し、自己批判や変化をおそれることがモスレム社会を後進させるという。変化をおそれず、西の文明を、よいものは選び受け入れることによってこの危機を乗り越えられるという。

    「東方に輝く星現れる」!
     著者のオルハン・パムクは1952年イスタンブルで経済的に恵まれた環境に生まれ、後年のニューヨークでの三年間を除いてずっとイスタンブルで過ごしている。彼にとってイスタンブルは、バルザックのパリ、ジョイスのダブリンのようなものだと語っている。イスタンブル工科大学で建築学を三年間学んだ後で、「建築家にはなりたくない、自分は一生部屋にこもってものを考えたり、読んだり、書いたりしたい」と決心する。しかし大学は出ておかねばと結局、イスタンブル大学のジャーナリズム学科を卒業する。日本語版の序文にも書いているように、7歳から22歳までは画家になることを考えていたという。そして22歳の時、書くことに専心し始めた。初めて書いた小説『ジェヴデット氏と息子たち』は数年後の1982年に出版され、トルコの有力新聞『ミリエット』紙の小説コンテストで一位を獲得し、また「オルハン・ケマル文学賞」をも受賞する。1983年に出版された次作『静かな家』は同年、「マダラル賞」を受賞する。その仏訳は1991年、「ヨーロッパ発見賞」を受賞し、85年に書かれた『白い城』はほとんどの西欧語に訳され、『ニューヨーク・タイムズ』紙はその書評で、「東方に輝く星現れる」と絶賛した。この本は90年に『インデペンデント』紙から、「インデぺンデント外国語小説賞」を得る。さらに、『黒い書』(1990)、『新しき人生』(1994)は国内でベストセラーになる一方、海外でも評判になった。98年に出版された『わたしの名は紅』は今までに三十二か国が版権を取り、既に二十三か国語に翻訳出版されている。英訳版だけでも十六万部売れたという。『ニューヨーク・タイムズ』,『ガーディアン』、『デイリイ・テレグラフ』、『タイムズ』、『インデペンデント』、『スコッツマン』、『オブザーバー』などの各紙や雑誌『ニューヨーカー』が書評欄で大きく取り上げた。中には、この作品をウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に比して評したものもあった。この本は2002年フランス、イタリアでも賞を得て、2003年6月、「国際インパクダブリン賞」を獲得した。この賞は世界中の図書館に投票権があって、賞の質においても賞金の額においてもきわめて注目に値するものである。また、98年に二十五年間にわたって書いた評論、随筆をまとめた『他の色』を、2002年には社会派小説『雪』を書いて注目を集めている。『イスタンブル――街と思い出』(2003年12月刊)は国内で大きな話題となった。

    最も有名なトルコの作家
     オルハン・パムクをカフカ、プルースト、トーマス・マンと比する批評家もある。なに一つ無駄のない緻密な構成、計算され尽くしたディテールには定評があり、ポストモダンの旗手とも前衛とも言われている。常に新しい手法を用い、実験的意欲的な作品を出してきた。トルコ国内では大学生、インテリ層に圧倒的に人気がある。日本では護雅夫先生のナスレッディン・ホジャの笑い話などの外にはトルコ文学の作品が紹介されたことはなかった。現代トルコ文学の作家の中で一番著名なのはヤシャル・ケマルとオルハン・パムクであることには、誰も異議がないであろう。前者が農民農村を描きクルド人の肩を持つ政治的発言が多いのに対して、オルハン・パムクはあくまでも都会的で、特定の地域の読者を対象にしない。海外での高い評価を考えると、まさに世界文学の範疇に入るものといえよう。英国BBC放送は二十一世紀を代表する二十一人の世界の文学者の一人に選んでいる。
    著者は谷崎、三島、大江、安部、川端、キーンその他かなり多くの日本文学を英訳で読んでいる。特に谷崎とは共鳴するところがあるという。西欧化に賛同し、浸り、やがて西の世界に失望して最後には自国の古典の世界に帰っていく点においてだという。この作品でも『春琴抄』の影が見えるような気がする。そういう意味でも世界中で二十数か国語に翻訳されたこの作品の邦訳がないのを残念がっていた。

    たっぷりの報い
     この作品はかなり長いし、内容的にも決して平易でない部分があるが、多面的な読み方ができ、読者はたっぷり報われると思う。先ずミステリとして、「犯人は誰か」としてだけでも面白い。第二に、歴史小説・社会小説として読むと、十六世紀のイスラム社会の風俗、若い娘達の行動、狂信的イスラム原理主義者と彼に従うグループ、それを毒舌をもって揶揄嘲笑する非合法コーヒーショップの舞台に立つ噺家とそこに集まるインテリや芸術家たち、当時の結婚や離婚の手続き、若い男女がおおっぴらに会えない当時のイスラム社会において男女の仲を取り持つユダヤ人の小間物の行商女、スルタンに所属する細密画師の工房とその生活などが興味深い。第三にカラとシェキュレの恋の物語としても世界が展開する。さらに、細密画の題材となった中近東文学で有名な挿話、例えばヒュスレヴとシリン(ペルシア語ではホスローとシーリーンとして知られている)、フェルハトとシリン、レイラとメジュヌン等の恋物語、ルステムの英雄譚などがここかしこにちりばめられている。最後に、人によってはこの部分が最も注目に値するとしており、海外でも非常に高く評価されているのが、エニシテがカラに語るルネッサンスの絵を初めて見たときの衝撃、登場人物たちの間で交わされる芸術観、芸術とモラル、東と西のものの見方や考え方の違い、模倣と刷新、個人のスタイル、盲目であることの意味などである。また死後の世界の描写や死んでからの行程の記述は著者の想像力の所産とは知りつつも思わずひきこまれる。
     オルハン・パムクが単にトルコ国内で一番有名だとか、ベストセラー作家だからとかいうのではなく、現代トルコの最高の作家であり、世界中の新聞雑誌の書評欄で数年来取り上げられているこの作品を日本の読者に紹介したいと思った。
    (わくい・みちこ/Middle East Technical University in Ankara 教師)
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